日常は感動に溢れている

先々週の日曜日、りおた君の結婚パーティへ参加するために、隣町まで行きは列車に乗って、帰りはこの区間を高校時代以来バスに乗った。実はずっとバスで通学する。だから懐かしいと言いたいけれど、もうここまでブランクが長ければ、目新しいことばかり。目線が高くて広い視野の窓からの景色は、見慣れているのに別格な風情を感じる。

また、夕方のせいなのかバスにはそこそこ乗客がいて、どこからともなく聞こえる声に、お休みならではのゆったりした空気があった。なんとなく旅している気分。我ながら安上がり奴だ(笑)。そんな風に思っていると、途中のバス停から小さなお子さんと若い母親が乗って来て、すぐ後ろの席に座って景色を見ながら明るく語り合っていた。

すると「太陽がよく見えない」と子が言えば、「もうすぐ陽が暮れるのよ」と母が答え、「嗚呼、今日が終わっちゃう、思い出が消えちゃう」と子がロックの歌のようなことを言えば、「それは思い出によるよ」と反射的に名答で返したことに驚かされる。これは常日頃のコミュニケーションの賜物。映画のような素敵なワンシーン!おかげさまで、下車する際に払ったバス代870円は本当に安かった。

運鈍根

昨日は急遽予定を変更して、そごう広島店で始まったばかり「りおたとやまぐち展」へ行くために新山口駅のプラットフォームに立っていたら、なんと、りおた君がやって来たので、同じ新幹線で向かうことになった。これは運行本数に限りがあるから必然的なこと。とは言え、旅は道連れ世は情けだから、運よく出会えたことに感謝するべきだ。

そんな道中で話題にしたのは「運鈍根(うんどんこん)」。まず運は出会いや人の縁を生かせるかどうかによる。大切にする人に幸運の女神は訪れる。次に鈍は例え失敗してもくよくよしないで、愚直に頑張っていく前向きさを指す。そして、根はいつまでも飽きもせずに続けられること。ぶれない姿勢で粘り強く取り組めるスタミナの持ち主だ。

いわゆる一たび志した道だったら、すぐに成果が上がらなくても、簡単にあきらめずに継続あるのみ。その過程で笑われたり馬鹿にされても気にしない。成功を信じて根気強く続ければ、いつかチャンスが巡ってくるはずだ。要するに、りおた君が上手くいっているのは正に運鈍根の賜物。誠実だからこそ、チャンスに恵まれる。先日の彼の結婚式でスピーチしたら良いことをさり気なく語ってしまった。

夢中!

少し前のこと、お二人はプロ組織になった頃のレノファ山口に、それぞれの立場からサポートするうちに知り合う。そこではその他に大勢の人たちとも仲良くなって、みんなでJリーグへ昇格することを夢見てワクワクしながら支えていた。

やはり情熱を傾けられるものがあるのとないのとで、人生を豊かに、そして面白くできるかどうかに関わってくる。要するに今を一生懸命やっていれば、それが未来を明るく照らすだろう。その時に夢中になるものを大切にしていけばいい。

あれから時は過ぎて、いろんなことが変ったけど、お二人の思いは一直線のまま。ずっと初心を忘れずに取り組めるのは、簡単そうで意外と難しいことをしなやかにこなす。やっぱり譲らないこと。これがいいのだと感じることは、そのまま信じていけばいい。とにかく、一生懸命やっていれば、応援してくれる人がまわりに増えてくる。好きな人と知り合って、楽しい人生になっていくはずだ。

夢中

昨日の午後、レ昇るさんの個展を観るために、イラストレーター コサカダイキ君がやって来て、年齢は倍以上違うのに美術談義で盛り上がっていた。やはり互いに少しでも向上したい思いが強いから自然と熱を帯びてくる。我武者羅な気持ちが重なり合うと、どんどん熱量は高くなっていく。何かを成し遂げたい意欲は実にエネルギッシュなものだ。

ちなみにこの二人の共通点は、子供の頃から絵に親しんでいたものの美術学校へ行かず、社会人になってから創作活動を独学で始めたことである。しかも、どちらもインターネットを活用して創作の腕を磨いていく。ホームページやSNSで作品発表をしながら、メールや書き込みの感想を真摯に受けとめて、課題克服に努力していったのだ。

つまり、創作に直接関係ないメッセージでも、まだまだ未熟だと思っているから、そこからヒントを見つけ出して活かしていく。また、温かいエールをもらったら、勇気の鈴がりんりん鳴って面白くなるだろう。このように自分らしさを知るには、ネットを適切に利用すれば、チャンスが生まれることもある。本質を見失わなければなんとかなる。

思い込み

岡本太郎が残した「他人を型にはめ込んでしまわず、自分の生きるふくらみとして、いつも積極的に見かえせば、思わぬ新鮮な人間像を発見するよ。誰だってみんな面白い」という名言がある。

そんなやり方で表現した作品はこれまでの美術の世界にない。だから頑張ったところで評価されることはない。いくら努力したところで報われないだろう。こういう流儀でいる人は固定観念にとらわれて、新しい表現手段には目を向けず、このままで十分やっていけると思い込んでいる。ただただすっかり馴染んだやり方を肯定して制作し続ける

それ故、先人の作品はすべて優秀なものばかりだと思い込んではいけない。たしかに敬意を払うべきことはあるけど、全知全能の神ではないから、今の時代に通じないこともある。要するに自分らしい世界観を求めて挑戦していけばいい。そうすれば、どこまでも自由であるために、個性的なセンスと感性を磨くことの大切さが理解できるはずだ。

人に歴史あり

人に歴史ありなんていうけど、みんなそれぞれに自分史があるので、どんな人でも人生を題材にすれば、一冊の小説を書くことができるはずだ。ただいま個展開催中のレ昇るさんのこれまでの人生もなかなかドラマチックなもの。約30年前にウィンドウズ95を購入したことがきっかけが人生の転機になる。そこから思いもよらない展開が始まった。

実のところ、レ昇るさんは技術職だったため、すぐにパソコン操作に慣れてマウスで絵を描き始める。また、自前のホームページを立ち上げて、ご子息様が所属していたチームの情報をはじめ、山口市の名所史跡を紹介したり、子どもたち向けに紙飛行機や牛乳パックの鉄道模型の図面を公開して、たくさんの利用者が集まって賑わっていたのだ。

いわゆるSNSを先取りするようなコミュニティで、多くの人たちを喜ばそうと努力する。少しでも見てくれた人が楽しめるコンテンツなるように創意工夫していく。とにかく、前向きなエネルギーで周囲の人を巻き込んでいった。こうした精神は今も変わることなく、面白いものを制作したい気持ちで溢れている。だから、明るい雰囲気で魅了できるのだろう。

一心

その道で才能を活かして生きようと思っているなら、それに見合った努力しなければならない。例えば小説家になりたい人は読書量、スポーツ選手になりたい人は練習量など、スタートラインへ立つために最低限に必要な実力を養わなければいけない。

それならば、美術家になるために何が必要なのだろうか?その答えは人それぞれ異なってくる。自分らしく個性を活かすために、何を武器にするべきかを探るしかない。独自性を活かしたスタイルに辿り着くために、絶対量の創意工夫と試行錯誤が求められる。

要するに美術へ情熱をとことん燃やすこと。一にも二にもこの姿勢を貫いていく。美術家への熱い思いを羅針盤にして、創作の世界へ意欲的に挑戦するしかない。様々なものを見たり聞いたり味わっていけば、そのうちに自分らしい個性に辿りつけるはずだ。