先日の教養バラエティー番組『日曜日の初耳学』の人気企画「インタビュー林修」には飲食店プロデューサー稲田俊輔氏が出演。その最初の話題「カツカレーが嫌い」では以下のようなユニーク視点から内容でとても面白かった。
アートイベント
先日の教養バラエティー番組『日曜日の初耳学』の人気企画「インタビュー林修」には飲食店プロデューサー稲田俊輔氏が出演。その最初の話題「カツカレーが嫌い」では以下のようなユニーク視点から内容でとても面白かった。
「ものを見るのは精神であり、ものを聞くのも精神である。眼それだけで見ようとせず、耳それだけで聞こうとしない」というのは、日本のサッカーの父と称するデットマール・クラマー氏の名言である。
1960年、東京五輪のために来日したクラマー氏は、基本の基本から徹底的に教えるだけではなく、サッカーの文化と哲学を日本へ運んできた名将。いつも選手たちのモチベーションを高めるために、「きちんと基礎を固めてこそ、その上に立派なものが建つ。基本がしっかりしていないものは、いつかは崩壊する」や、「上達に近道などない。そこには不断の努力があるだけである」など、心を響かす熱いメッセージを数々残している。
これらの言葉はすべて美術家に対しても十分使えるものばかり。やはり、人がやることは心技体が豊かでなかったら、素晴らしいパフォーマンスを発揮することはできない。つまり、自らやる気になって熱心に学んでいく。このレベルに達したいと発憤することで、あらゆる感性は研ぎ澄まされて、より深く真理を追究できるだろう。だから、なにごとも必要なのは実力よりもやる気が肝心。一度、自分のやるべきことだと決めたら、そのことにひたむきに取り組み、向上への意識を持ち続けることが大切になるのだ。
先週、あるバラエティー番組にベテランお笑いタレントの小堺一機氏と関根勤氏が出演。キャリアの長いお二人の思い出話を中心に数々のエピソードが披露された。その中で二人の息の合った不条理なジョークのやりとりについて、「クラス会で小学校の友達と会うと小学生に戻るじゃん。そういう感じで、(二人が会うと)いっつも中学生に戻る、気持ちが」という関根さんの言葉に、私はあることを思い出して、手を叩いて頷いてしまった。
それは12年前、臼杵万理実さんと出会った頃に、絵を観せてくださいと言ったところ、彼女は天然であるため、幼児から大学生までの作品をいくつもの風呂敷にくるんで持ってきた。私はその行動にどうしても美術家になりたい気持ちの表れだと感心した。そこで予定時間をはるかに超過して丁寧にじっくりと観た。すると中学時代がピークで、どんどん絵を描く熱量が下がっていくことに気付く。
もちろん、技術的には進歩している。だけど、画面の迫力は低下する一途。とにかく暗い印象を与えるものが目立った。その理由は簡単。ただ、熱量が足らないだけ。夢や希望を見失っているから、作品に情熱が感じられない。臼杵さんらしさを感じられなかったのだ。それはそれでマイナスではない。この時に苦しみを味わったことで、地道に努力する姿勢が身についていった。ちなみに今現在の彼女は、創作する際には小学生のように伸び伸びしている。童心に満ちた好奇心に溢れた感覚で描いている。つまり、一番活き活きしていた時代にタイムスリップしているのだ。そんなことを何気ないテレビ番組で気付くことができた。さすがコサキンは感性をくすぐる名人。臼杵さんも作品でほのぼのしくくすぐってくれる感性がいい!
その人が好きだという美術作品についてはできる限り口出ししない。なぜなら、人の好みはさまざまであるのが当たり前。こちらの価値観であーだこーだ言ったところで、言われた方は面白くない気分になるだけ。金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい」という言葉のように寛容に接すればいい。
それよりも、自分で気が付かなかったことを知るチャンスだと捉えよう。この世はすべて多面的であって、自分の知っている一面だけで判断したら、それ以外の面はわからないまま。だから、興味や関心を抱くべきものだと考えて、じっくりと眺めていくこと。人は必ず独自性のある感覚を持っている。あらゆることがわかってると思い込まずに、辛抱強く観察しながら豊かなセンスを磨くのだ。
つまり、いろんな人たちに自分の知らないことを教わるつもりで謙虚に生きよう。知らないことは恥ずかしいことではない。それぞれの知恵や知識を出し合って、日々を丸く収まるように創意工夫すればいい。どんなに凄い才能の持ち主でも、たった一人の力で生きることはできない。いろいろな人たちにヒントをもらいながら、再発見を学びにすることが大切にしていこう。
美術家を目指そうと思っているのなら、そこそこの実力があったとしても、人と変に比べようとしたり、無意味に競い合ったりしないで、誰もやらないような領域を見つけて、自分のペースでゆっくり活動していくことが大切だ。
そして、作品について必要以上にアピールするよりも、才能を信じてこつこつと努力すること。目立つパフォーマンスをすることが心地よいと同じように、マイナーな活動だからこそ創り出せるチャーミングな世界もある。言い換えれば、先進的な表現でしのぎを削る人たちがやらないものにこそ、その人にしかできない大きなチャンスがあるのだろう。
つまり、創作人生とは一番後ろ辺りからゆっくりと行けばいい。個性的な作品に至る近道なんてあり得ない。どこまでも情熱を持ち続け、夢と希望で未来を照らしながら制作していく。この如何にも地道なルーティンの繰り返しが、実は独創性のある世界観へ向かうための王道なのである。