自由な表現

いわゆる表現の自由を保証するという言葉がある。これはどういう人でも公共の福祉に反しない限り、その自由を抑制することはできないことを意味する。自由の責任の負い方をよく知らない人が、むやみやたらに自由ばかりを強調して、なんでもかんでも自分勝手にやっていい訳ではない。

とにかく、人の名誉を著しく傷つけるような表現や、人が大事にしているものを悪意を持って踏みにじる行為は、どんな小さなことであっても許されないこと。マナーやエチケットに反することは言語道断で、表現の自由として値するものではない。いろいろなことをきちんとふまえてはじめて成り立つ。つまり、自由な表現とはしっかりと社会の一員であることを自覚し、さまざまなルールをわきまえながら既成概念を打ち壊し、新しい創造へ何にも捉われなことを言うのだろう。

ところで、イラストレーターのコサカダイキ君は、いつも自分なりに表現の自由について考えている。ハッキリとした答えのないことに、自問自答を繰り返しては向き合っている。自分の頭で考えて自分の感性で触れて、浮かんできたイメージに創意工夫していく。オリジナリティーが要求される世界で生き抜こうとする熱い魂を感じさせてくれる。前進し続けていくことで、新しい夢の扉を開き続けて、新たなことを創り出そうとしている。それゆえに、彼の潜在意識のなかで大切なものは何かを知っているように思えてしまう時がある。