堕落論

先週より中原中也記念館で始まった「坂口安吾中原中也――風と空と」。中也と安吾は同人として参加した文芸誌で知り合い、それぞれ音楽に対して深く関心を持ち、互いに実力を高め合いながら交流していく・・・という、かじった程度のことはわかったが、まだまだ序盤の中の序盤でしかなく、これから学ぶことばかりである。とはいうものの、やはり独学ではらちが明かないので、学芸員さんに教えを乞うことが得策だと思いながら、今夜も著書などとにらめっこしている。
ところで、安吾と言えば『堕落論』だ。「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」というのは有名な一節。私たちは幼少の頃からさまざまな知識や常識を身に付けているうちに、こうであると世の中の観念に縛られて、自分らしく生きることができなくなる。だから、身にまとった服を脱ぐように、素っ裸になって振り出しに戻り、一番の底から人生の高みを目指して這い上がれ!という意味だと解釈している。
それはさておき、今のように閉塞感漂う時代には、切れ味鋭い安吾語録はバイブルだ。これまでのやり方や枠組みに捉われていると、自分自身の新しい可能性を育んでいけない。目まぐるしく変わる社会についていけず、落ちこぼれてしまうことがある。そんな時は今のままじゃ駄目なんだから、もう一度スタート地点に戻って、一からやっていけばいいと開き直ろう。人は失敗することが多い生きもの。だからこそ、その都度生まれ変わるくらいの気概で、一番の底へ自ら堕ちていってから伸し上がるのだ。安吾の言葉には熱いエールがある。時代を人を励ましてくれる熱い魂があるのだろう。