夢中

昨日の午後、レ昇るさんの個展を観るために、イラストレーター コサカダイキ君がやって来て、年齢は倍以上違うのに美術談義で盛り上がっていた。やはり互いに少しでも向上したい思いが強いから自然と熱を帯びてくる。我武者羅な気持ちが重なり合うと、どんどん熱量は高くなっていく。何かを成し遂げたい意欲は実にエネルギッシュなものだ。

ちなみにこの二人の共通点は、子供の頃から絵に親しんでいたものの美術学校へ行かず、社会人になってから創作活動を独学で始めたことである。しかも、どちらもインターネットを活用して創作の腕を磨いていく。ホームページやSNSで作品発表をしながら、メールや書き込みの感想を真摯に受けとめて、課題克服に努力していったのだ。

つまり、創作に直接関係ないメッセージでも、まだまだ未熟だと思っているから、そこからヒントを見つけ出して活かしていく。また、温かいエールをもらったら、勇気の鈴がりんりん鳴って面白くなるだろう。このように自分らしさを知るには、ネットを適切に利用すれば、チャンスが生まれることもある。本質を見失わなければなんとかなる。

思い込み

岡本太郎が残した「他人を型にはめ込んでしまわず、自分の生きるふくらみとして、いつも積極的に見かえせば、思わぬ新鮮な人間像を発見するよ。誰だってみんな面白い」という名言がある。

そんなやり方で表現した作品はこれまでの美術の世界にない。だから頑張ったところで評価されることはない。いくら努力したところで報われないだろう。こういう流儀でいる人は固定観念にとらわれて、新しい表現手段には目を向けず、このままで十分やっていけると思い込んでいる。ただただすっかり馴染んだやり方を肯定して制作し続ける

それ故、先人の作品はすべて優秀なものばかりだと思い込んではいけない。たしかに敬意を払うべきことはあるけど、全知全能の神ではないから、今の時代に通じないこともある。要するに自分らしい世界観を求めて挑戦していけばいい。そうすれば、どこまでも自由であるために、個性的なセンスと感性を磨くことの大切さが理解できるはずだ。

人に歴史あり

人に歴史ありなんていうけど、みんなそれぞれに自分史があるので、どんな人でも人生を題材にすれば、一冊の小説を書くことができるはずだ。ただいま個展開催中のレ昇るさんのこれまでの人生もなかなかドラマチックなもの。約30年前にウィンドウズ95を購入したことがきっかけが人生の転機になる。そこから思いもよらない展開が始まった。

実のところ、レ昇るさんは技術職だったため、すぐにパソコン操作に慣れてマウスで絵を描き始める。また、自前のホームページを立ち上げて、ご子息様が所属していたチームの情報をはじめ、山口市の名所史跡を紹介したり、子どもたち向けに紙飛行機や牛乳パックの鉄道模型の図面を公開して、たくさんの利用者が集まって賑わっていたのだ。

いわゆるSNSを先取りするようなコミュニティで、多くの人たちを喜ばそうと努力する。少しでも見てくれた人が楽しめるコンテンツなるように創意工夫していく。とにかく、前向きなエネルギーで周囲の人を巻き込んでいった。こうした精神は今も変わることなく、面白いものを制作したい気持ちで溢れている。だから、明るい雰囲気で魅了できるのだろう。

一心

その道で才能を活かして生きようと思っているなら、それに見合った努力しなければならない。例えば小説家になりたい人は読書量、スポーツ選手になりたい人は練習量など、スタートラインへ立つために最低限に必要な実力を養わなければいけない。

それならば、美術家になるために何が必要なのだろうか?その答えは人それぞれ異なってくる。自分らしく個性を活かすために、何を武器にするべきかを探るしかない。独自性を活かしたスタイルに辿り着くために、絶対量の創意工夫と試行錯誤が求められる。

要するに美術へ情熱をとことん燃やすこと。一にも二にもこの姿勢を貫いていく。美術家への熱い思いを羅針盤にして、創作の世界へ意欲的に挑戦するしかない。様々なものを見たり聞いたり味わっていけば、そのうちに自分らしい個性に辿りつけるはずだ。

若さ

岡本太郎の著書に「夢を見ることは青春の特権だ。これはなにも暦の上の年齢とは関係ない。10代でも、どうしようもない年寄りもいるし、70、80になってもハツラツとして夢を見続けている若者もいる。だから年齢の問題ではないが、青年の心には夢が燃えている。ぼくは口が裂けてもアキラメロなどとは言わない。それどころか、青年は己の夢にすべてのエネルギーを賭けるべきなのだ。勇気を持って飛び込んだらいい」という文章がある。

いつも新しいことへ取り組める人は、その世界の権威や常識に染まらず、感性を羅針盤にして生きられる人。若いエネルギーを武器に意欲的にチャレンジしていく。もちろん、この場合の新人は年齢のことを指すのではない。好奇心を掻き立てて未知の分野へ飛び込めるエネルギーの持ち主。常に何かをしようとする意欲があるから、新鮮な気持ちで取り組んでいける。いわゆる実際の年齢の若さではなく、本物の若さで情熱を燃やし続ける人物だ。

脚本

「人生というドラマにおいては、自分を主役にして脚本を書いた人と、目的意識もなく惰性で生きた人とでは、たいへんな違いができるのです」という名言がある。

いわゆる美術家として生きていきたいのなら、どんな脚本を書いてみたらいいのか?こんな時はなんでもいいから、これがいいんだと思い浮かぶことを書いてみること。そして、書いたことをやってみることが大切になる。可能性のあるなしはやってみなければわからない。例えそれで痛い目に遭うかもしれないけど、その体験でやれそうなことが見えてくる。何度も何度も書き綴ってみれば、いつか具体的な言葉が育まれるはず。

私は美術の才能はどんな人でも持っていると思う。その人が美術へ情熱を燃やせるものと向き合う。言い換えれば、ごく普通の熱量で取り組んでいけば、ごく普通のことしかできない。だから、主役である自分を活かすために、少しずつ限界を超えていくこと。どこまでも希望的な文言を脚本に書き込み、プラス思考で夢中になって頑張ればいい。チャンスは自分で創れる。どういう脚本を書くのかで決まっていくだろう。

裸坊祭り

40数年前、どんな学校なのかよく知らむまま受験して、防府天満宮の近くある私学へ進学する。将来のことを深く考えないで、訳のわからないまま飛び込んだ。なんとも無謀な話し。なんてたって男子校でヤンチャな人たちが大勢いて、すぐ隣りに防府競輪があって、街には工場で働く労働者が多いなど、カルチャーショックをたくさん受ける。

入学後は戸惑う事ばかりで馴染めずに辛かった。だけど、力不足を思い知らされて、やるしかないと開き直る。そこから逃げずに頑張っていると、いつの間にか強くなっていった。正直に取り繕うことなく、自分らしく一生懸命やれば、何かが成長していく。こうして防府で鍛えてもらったおかげで、タフな世界で生きていける力が養われたのだろう。

こんな昔話を思い出しtのは、りおた君の結婚パーティーに出席したから。長時間にわたって全力でお祝いしたい仲間たちが集い、陽気さを前面に押し出して楽しむスタイルは、この街に古くから根付く裸坊祭りと似ている。みんな裸の心になって、本音と本音をぶつかり合えるのは、とても粋でカッコいい!りおた君の純粋で一本気な性格を象徴するような素敵な宴だった。