マイペース

漫画家水木しげるが幸福に生きるために実践していた「幸福の7か条」。頑張り過ぎず、自分の好きなことや自然体を大事にすると、結果的に幸せに近づくという考え方。表面的にはゆるい心得に思えるが、実際は人生についての深く考察した内容になっている。

ただ単に楽して生きようではない。好奇心や満足感を軸にして生きべし。どうでもいいことに縛られず、無理に世間に合わせ過ぎないこと。幸福を外から手に入れるものではなく、日々の生き方の中で育てるものと、セルフ防衛の知恵のバイブルになっている。

ちなみに第6条の「怠け者になりなさい」は、何もしない人になれと言っている訳ではない。燃え尽きないための助言で、自分のペースを大事にしなさいという意味だ。長く続けるために、あえて意識的に休息を入れる。我武者羅さより続けることを優先する。

つまり、何が何でもやろうと力まなくてもいい。早く功績を挙げようと無理しても、決して上手くいくことはない。物事は段階を踏みながら上達する。こつこつ積み重ね、ぼちぼち成長する。周りの目を気にせず、じっくりとマイペースで熟成させてみよう。

若さ故

「大いなる若気の至りが個性の芽を育てる」という名言がある。若さ故の大きく既成の枠から外れるような無茶が、その人らしい個性を育てるきっかけになる。分別が足りず、勢いのままの行動は危なっかしいけれど、予想外の可能性を切り拓くこともある。

だからこそ、どんなことでもいい。好きなこと、得意なこと、なんでもいいから踏み出していくこと。自らやるべきことを見つけ出し、できる限り良くなるように努力する。それはそうやすやす上手くいくことはない。挑戦には七転び八起きがつきものなのだ。

何かすれば成功もあるし、失敗することもある。みんなジグザグ線を描きながら向上を目指す。自分を抑え付ける常識や知識を壊して、もっと自由に、もっと大胆に取り組んでいく。誰かに準備された人生ではなく、自分の好みに合わせた人生にすればいい。

つまり、若さゆえの大胆不敵な行動は未来への投資だ。すぐに回収することはできないけど、人生の充実感や満足感といった、目に見えにくいリターンがやってくる。今熱望することに本気で向き合えば、生物学的ではなく、本物の若さを手にできるだろう。

発見力

人はそもそも、なぜアートを観たくなるのか、なぜ触れてイメージを膨らまようとするのかは、ある意味、究極の問いだと思っている。なぜなら、一流のアートを観たところで、すぐに一流の感性になることはない。その人を豊かにするのに特効薬なんてない。

だのに、アートを観ようとするのかというと、人はアートに何かの答えを求めているから。たくさんの人の中で他に二つとない自分であることを確かめてみたい。つまり、自分が自分であることを知るために、自分らしい姿を写す鏡のようなアートを探すのだ。

いわゆるアートって、夢やロマンのある世界だと言われている。しかし、遠い昔はそうではなく生活に密着していた。神棚の上に飾るような仰々しさはなく、人々の暮らしの中から自然発生していた。淡々と生活するうちに生まれてくる美しさを楽しんでいた。

要するに、ほど好い加減を見つけ出しのが上手くて、美しいものに自分が気づいた時のワクワク感を大切にしていた。言い換えれば、美しさは無理矢理創ろうしなくても身近にあるものから発見すればいい。日常を好意的な視線で見つめると人生は面白くなる。

飛耳長目

人は人と多様に触れ合うことで、どんどん成長していく生きもの。他者とコミニュケーションを取るうちに、自分の考え方の偏りや個性の違いに気づかされる。自分ひとりの努力だけでなく、出会いや対話、衝突や協力を通じて、ものの見方や価値観が広がる。

もし、人と人が関わらなければ、いくつになっても自分らしさの深まりは生まれない。なぜなら人と人との触れ合いは、知識や常識を増やすだけではない。相手を理解しようとする力や自分の意見を言語化して伝える力、適切な距離感で付き合う力を育てる。

こうした力は人間としての成熟に繋がり、その人らしい魅力を際立たせてくれる。いわゆる切磋琢磨することで、高め合える相手がいると、自分ひとりでは気づけない伸びしろが見えてくる。いろんな人の工夫や姿勢に触れると、改善点が見つかりやすくなる。

川部那萌さんは、いつも感性のアンテナを立てて、あちこちに出向いては関わっていく。小さなことに耳を澄ませて、目もしっかりと開いて観察して楽しむ。不思議な世界を見つけ出し、言葉にならないものを心で感じて、写真として表現しようと努力する。

一本筋の通った

イソップ寓話の「ロバを売りに行く親子」とは、ロバを市場へ売りに出かけた親子が主人公。道中に出会う人たちから言われることを真に受けて、次々合わせて行動した結果、最後は川にロバが落ちて流されて、骨折り損のくたびれ儲けになってしまう物語。

周りの人々の意見を全部取り入れようとすると、振り回されて愚かな行動に繋がり駄目になる。あくまでも他人の意見は参考までに留めて、最後は自分で判断して決めていくこと。周囲の好意的な意見に流されないで、自分で考えて行動することが大切なのだ。

要するに一本筋の通った生き方をすること。どんな時も周囲の期待より自分はどうしたいかを優先していく。自分の価値観や感情を基準に物事を判断することで経験値が高くなる。結果がどうなっても本当の自分を守り抜くために、良心に従って生きればいい。

いつも自分には自分だけしか歩めない道があると信じて努力していくこと。自分軸がしっかりしていると、自然と他人と比較しなくなり、余計な感情が湧かなくなる。そうして、自らの価値観でよく咀嚼すれば、すべてが血となり肉となって身に付くだろう。

運命

10年前、身近にある美しい景色を何かで残すには写真しかないと、漠然と写真表現に興味を抱いた高校1年生がいた。だけど、どうすればいいのかがわからなかった。そこでネットを利用して調べてみると、SNSを通じて初歩を教えてくれる高校生と出会った。

なんだか想像以上に面白そう。もう少し知りたくなって、学校の近くに時々いる元学芸員さんに会ってみたら、とても親切で写真活動に必要な心構えを教わる。たくさん学ぶべきことがわかってよかった。なぜなら、人生をかけてやってみたいと思ったからだ。

こうして手探りで始めた写真制作。ただただ上手くなりたくて、写真教室に参加したり、被写体を求めて電車で遠征したりと孤軍奮闘した。すると廊下の掲示版にあった高校生デザイン公募展のポスターを見て、初めて応募したところいきなり賞を受賞する。

これはどう考えてみても、映画やドラマでないとあり得ないことだから、ビギナーズラックというより神様に選ばれたのだ。そして気づく、自分らしい創作を探究することで、コミュニティが広がるなんてこんな面白いことはない。やる気満々になったのだ。

すべての道はローマに通ず

高校時代に見る夢とは、多くの場合今の自分の願望が反映された夢である。 現実よりも大きな理想や将来像を強く思い描いたりしやすい。とは言え、将来を明るく信じて前向きでいられる。希望にあふれた気持ちは、未来への期待を支えるための力だ。

とにかく理想や将来像はそう簡単には上手くいかない。どれほど熱い心で決めたことでも、実際に挑戦すればするほど、自分がいかに力不足かを思い知らされ、いつしか意欲が下がっていく。現実とのギャップが大きくなり、妥協せざるを得なくなる。

だからこそ、日々の積み重ねが大切なのだ。夢を現実に変えるには粘り強さが必要になってくる。目の前のことをこつこつ取り組んでいく。夢を叶えるとは、遠くを見過ぎず、近くを怠らぬこと。小さな努力が不可能を可能にし、やがて運命を動かす。

それ故、夢を叶えていくには、最短距離で到達することはない。遠くにある夢を見失わず、近くの一歩を着実に踏みしめていく。目先の安易な誘惑に負けず、あえて遠回りして道を知るべし。夢の実現は後に取っておいたほうが楽しい人生になるだろう。