2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

育成

いくせいいわゆる美術家を育てるためには、子供の頃から養成のカリキュラムに則って育成したしたところで、それほどの効果を得ることは期待できないだろう。なぜなら、美術家の素地となる心を揺り動かして得る感動体験が、限定されたものになってしまうから…

勇猛果敢

才能とは何もしなければ、何も発揮することはない。自ら目標と思えるものを掲げては、それに挑戦していくことで、一番やりたいことが徐々にわかってくる。自分の能力でできそうなこととできそうもないことが見えてくる。とにかく、何かにチャレンジし始めた…

萌ゆる心

とにかくいろんなことを積極的にやって、自分の力がどれくらいなのかを試してみる。どうせとやさぐれたことを言って、はなっからできないと決めつけてはいけない。何もやろうとしなかったら、何もできないままで、何も変わらないままだ。自分自身の可能性は…

覚悟していく

美術家を志した金の卵たちは、バラ色の人生を思い描いて活動している人は少数派だ。大多数は好きでやり始めたのはいいけど、なかなか成果が上がらなくて、どうしても焦ってしまう。自分がイメージした理想像でありたいと思いながらも、実際の自分は理想像に…

既成の枠

岡本太郎の言葉に「下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか」がある。 たしかに器用に立ち回って、既存の絵柄や作風を上手く取り入れた作品になるより、不器用で上手く立ち回らない方が遠回りする分だけ、いくつ…

人心一新

いわゆる地方でイラストレーターとして活動する人は、ある程度のレベルまで達することができれば、それなりに目立つようになり、あっという間にローカルスターの地位を築き、メディアなどに取り上げてもらえるだろう。しかし、それはひと昔前のお話し。ここ…

切磋琢磨

いわゆる創作をするもの同士にとっての切磋琢磨とは、お互いに鋭い感性を剝き出しのままぶつかり合うことだ。自分自身の個性的な才能を見つけ出すために、それぞれの作品鑑賞したり、さまざまな美術談義をすることで、創作への才能を追究し合うことが理想だ…

ありふれた風景

昨日は北九州市立美術館分館で始まった「吉村芳生 超絶技巧を超えて」に参上して、ひさしぶりに吉村さんの作品を心ゆくまで堪能する。やはり、少し年月を開けてから鑑賞すれば、新鮮に感じてしまうことが多くある。特に、このところ大星君からいろんなことを…

夢のセールスマン

8年前、近くの商店街であったイベントで似顔絵を描いていた駆け出しのイラストレーターと出会う。一見からして尖っていて、実際に話してみると、額面通りギザギザしていた。馬鹿みたいにデカイ夢を見ていた。世間知らずの痛々しさが印象的だった。そういう発…

視点

近年、テレビ番組はニュースの時間が増えて、毎日、適量以上の情報をシャワーのように浴びている。ほんのちょっとでも目にすれば、あっという間にいろんな話題に巻き込まれて、いつの間にか適量を超えて溺れていく。ほどほどのところでシャットダウンしない…

ケ・セラ・セラ

未未来とはなるようにしかならない。それゆえ、上手くいくことを願って最善を尽くすだけ。変にやきもきしたところで取り越し苦労にしかならない。明日は明日の風が吹くでいい。きっと、晴れるからなんとなるはず。それくらい漠然とした希望を持ってみる。今…

好きなことを続けるということ

子供の頃から絵を描く時間が楽しくて大好きだった。画用紙に向かっているだけでワクワクする。だから、誰かに褒めてもらえなくてもいいというのか、本当はしっかり見て欲しいけど、実際に見てもらうのはとても恥ずかしいので、そっと一人にしておいてもらっ…

好きこそものの上手なれ

美術家は美術家として創作人生を歩んでいくために、役立つことを身に付けることが大切である。そのためには自分らしい個性が鋭くなるように磨いていくこと。好きな美術のことならコツコツ努力することも辛抱強くやっていけるはず。未来へ希望を燃やしてトラ…

ワラビのセンでつくる

古くから山口で親しまれるお菓子と言えば外郎だ。その起源は室町時代に福田屋に始まり、やわらかくて上品な風合いのある味は、大内や毛利の歴史上の人物にも喜ばれ、今現在も昭和の初めに製法を引き継いだ御堀堂で伝統の味を守り続けている。 先週、中原中也…

飛耳長目

松陰先生が好んで使った「飛耳長目(ひじちょうもく)」とは、中国の古典に由来する。その意味は、自発的に知識や見聞を広げていくこと。自分の目で鋭く深い観察していくことを指す。いわゆる人生では自ら体験して得た情報こそ、もっとも価値のあるものにな…

存在と時間

昨夜はNHKオンデマンドで、Eテレの100分de名著「存在と時間 ハイデガー」を視聴する。20世紀最大の哲学者の一人であるハイデガー。私は高校時代に、ほんのわずかしか触れていないのでまったくの門外漢。正直、なにもわからないから、この機会に向かい合うこ…

歴史あり

「人に歴史あり」。いわゆるどんな人でも人生を振り返れば、その人なりに頑張ってきた歴史で紡がれている。その1つ1つの出来事にスポットを当ててみると、いくつものドラマチックな出来事ばかり。無我夢中で何度もあったピンチを運よく乗り切ってきた。こつ…

窯焚き

ものづくりする人の創作へのエネルギーは、いつも内面からあふれ出てるもの。その人にとって本当にできる限りのことを、意欲的にやってやろうという熱意から生まれてくる。それは決して長年培った技術力やこれまで創り出した表現力に頼るものではない。その…

経験値

失敗は成功の母である。失敗してもその原因を追究したり、欠点を反省して改善することで、かえって成功に近づくことができる。だから、「失敗したら、どうしよう」なんて怖気づいてはいけない。すべての出来事は学びだと謙虚な姿勢で取り組んでいく。失敗は…

個性

美術家は一人ひとりの個性が違うもの。誰か比べたところで仕方がない。その人にとって素晴らしいものは、他の人と同じ意味である必要はない。どうしてもピンと来ないものは、ピンとしないままでいい。人の好き嫌いに対する考え方はそれぞれで、いっしょであ…

いのちの声

中原中也の第一詩集 山羊の歌の最後を飾る「いのちの声」。詩人として生きていくことへの決意表明のような強い言葉が印象に残る。研究者によると『僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる』『すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれで…

明るい表通りで

昨日最終回だったNHK連続テレビ小説 カムカムエヴリバディ。このドラマの全112編にあった様々な場面を、1つ1つパズルのピースのように繋ぎ合わせると、だんだん心がくすぐったくなって、自然と笑みがこぼれてくるようなエンディングでした。とにかく、ドラマ…

成熟

私は50代になってから、自分自身の人生を仕上げる時期だと位置づけて、常に「成熟」というものを意識している。どうしても年齢的に体力も記憶力も下降モードに突入し、今まで通りのテンポで動けないことが増えてきた。もちろん、まだまだ不十分なことが多く…

150年

先月、県美の企画展「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」を鑑賞した時のこと。1階の展示会場真ん中あたりに、江戸時代中期頃に武蔵野の平野に広がる一面のススキ原を描写した六曲一双の屏風があった。画面の緑色は草むらで雑木林を彷彿とさせて、豊かな自…

登り窯

昨日の午後は萩焼陶芸家 大和潔さんと佳太君に会うために明善窯へ。県立大学近くの国道9号線から山の麓へ向かって1㎞弱しか入っていないのに、工房付近に広がる風景は街の喧騒を忘れることができる自然豊かな場所。これも登り窯で薪を炊いて炎の勢いで焼成し…

水を運ぶ人

水を運ぶ人とは、どうして良いのか手段に迷う仲間に、救いの手を差し伸べる人のこと。その人の志が枯れてしまわないように、いつも遠くから見守っていて、時に必要な栄養を届けてくれる。それがお互いに利害が一致するのなら有償の関係。この世の中、なんだ…

やってみなはれ

「なんでもやってみなはれ、やらなわからしまへんで」という格言がある。これは砂糖も塩もなめたことがなければ、その甘さや辛さについていくら説明したところで、実際に理解することができないという意味。まずは何ごとも自ら興味を持って取り組んでいく。…

克服

いわゆる「劣等感」とは、実際にはそうであるかどうかは関係なく、自分自身が他人に比較した時に、なんらかの欠点によって自らを否定的に考えてしまう感情のこと。劣等感の強い人は、それほど気にしなくていいことに立ち止まり、自分は劣っていると勝手に強…

セロからイチ

美術家は、自分の才能を発揮するための表現技法を探し出すというより、これまでなかったものを育んだり創り出すことが大切だ。どこかに存在している素材や表現手段を選び出し、オリジナルを独自解釈で再構成したり、模倣を通じて異質なものに変えたところで…

エイプリルフール

イソップ童話のひとつ「オオカミと少年」とは、村外れの羊飼いの少年がある時、平々凡々の日々に飽き飽きして、「大変だ、オオカミが出た!」と大声で嘘を叫び、驚いた村人たちが駆けつけて大騒ぎになる。これを面白いぞと味をしめた少年は、その後も同じよ…