2024-01-01から1年間の記事一覧

旅は道連れ、世は情け

ことわざの「旅は道連れ、世は情け」とは、同行者がいると旅が心強く楽しいものになるように、世の中を渡るのにも、それぞれが互いに思いやりをもって助け合うことが大切であるという意味である。 人生は旅である。なぜなら、さまざまな土地でいろんな人たち…

愚直

岡本太郎の著書に「なぜ、創るのかって?創らなければ、世界はあまりに退屈だから創るんだ。まっさらな目をもて。そして目的を捨てろ。なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ。評価されるなんていっさい必要なし。 音が好きならば、音になって…

我が道

松陰先生が残した「道はすなわち高し、美し。約なり、近なり。人いたずらに其の高くかつ美しきを見て以て及ぶべからずと為し、しかも其の約にしてかつ近く、はなはだ親しむべきを知らざるなり」という名言がある。 この言葉は、人の歩むべき道は、気高く美し…

背中を押す

先週末、山口大学教育学部美術教育の学生による「山美展」へ参上すると、ひさしぶりにキラキラとした若さを存分に浴びた。おそらくここ数年間はコロナ感染症の影響で、なんだかんだ言っても切磋琢磨することができなかった。どうしてもどこかで作品制作のア…

文化

文化とは人々の好奇心を掻き立てたり、精神的な安らぎを与えて、生きることへ喜びをもたらす。その人の触覚を刺激して活性化させて、豊かな人間性を水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てていく。または文化に触れることによって浮か…

有名無力 無名有力

陽明学者 安岡正篤の言葉に「有名無力 無名有力」がある。これは若い時はそれ相応にすぐれた人物、あることに長けた人物になるために一所懸命頑張っていく。そうして頭角を表すようになるとあちこちから声がかかり有頂天になって、いつしか自分自身を掘り下…

ヌマさん

1980年9月、私は高校1年生で陸上競技に青春を燃やしていた。そんなある日、母のギャラリーによく来るヌマさんに「もう県美展を観たのか?」と言われて、「いいえ」と答えたら「じゃあ、芳生ちゃんの作品を観に行こう」と誘われた。その頃、美術には興味がな…

メリークリスマス!

彫刻家 田中米吉先生が香月美術館開館記念展の画集に「(1969年に)私それまでのいろいろな無理が重なって、突然、ひどい眼底出血を起こした。右眼がほとんど見えず、距離感は全くない。美術家にとって致命的な状況であった。ようやく何かをつかみかけていた…

芳生伝

このたび開催した故・吉村芳生さんの作品展では、ご親族や友人などの生前にお付き合いのあった方々と在りし日のお姿を偲びつつ、他愛もない思い出話をしているようで、実際はたくさんの視点から振り返ることができた。そうするといくつもの出来事が一本の線…

自画像

1981年7月24日、吉村芳生さんの31回目の誕生から1年間、毎日、自分自身の姿を写真で撮り続けて、それをそっくりそのまま鉛筆で描いていく自画像シリーズに挑戦したことについて、1985年1月発行の県立美術館ニュースに以下のように書き綴っていた。 1981年の…

実らせる

現代美術家 村上隆の著書に「アーティストとして何より求められるのは、デッサン力やセンスなどの技術ではなく『執念』です。尋常ではないほどの執着力を持ち、何があっても、やり通す覚悟があるならば成功できます。それがなければ成功できるはずがないとい…

発見

1984年3月発行の県立美術館ニュースの表紙に掲載された吉村芳生さんの作品「A STREET SCENE No.21」について、同館学芸員の高田美規雄(故人)さんが執筆された解説文は読み応えがあり、中でも吉村ワールドの本質を感じる箇所を以下に抜粋する。 『複製の一…

事実は小説より奇なり

2006年9月、吉村芳生さんは応募した県美展の公開審査会で人生のターニングポイントがあった。それは最終審査まで残ったものの、大賞に選出されなかったため、直後の質疑応答の際に「わかりますか、これは鉛筆で描いたものです!」と迫力のある声で食い下がっ…

ジーンズ

先週末、40年来の友人がギャラリーにやって来て、吉村芳生さんの作品をじっくりと鑑賞する。そしておもむろに「鉛筆で描かれたジーンズの作品は、アンディ・ウォーホルがデザインしたローリング・ストーンズのアルバムジャケット『スティッキー・フィンガー…

目から鱗が落ちる

いわゆるプログラミングとは、意図した計算を行うためコンピューターに指示を出すこと。すなわち、プログラムを設計し、それをプログラム言語によって記述し、テストを行い、誤りの検出と訂正を行うことをいう。 先週末、吉村芳生さんの作品を観た美術家から…

夢は終わらない

誰だって子供の頃は、自分の好きなことを将来の夢として掲げている。その夢が大人になってから実現可能かどうかはさておいて、好きなことをやってみたいと純粋に思うことが、たゆまぬ向上心に繋がることが多い。なぜなら、人は自分の好きなことだったら、熱…

愚直

2008年10月、第62回山口県美術展覧会で前年度同展大賞受賞者の吉村芳生さんによる特別展示のスペースで、以下のようなことを語ってもらえた。 いつも独創的な世界観を目指して、いろんなことを試しているんだ。そうすると予想外の壁にぶつかったり、とんでも…

プロフェッショナル

1980年、県立美術館の開館後に初めて県美術展覧会が行われる。その理念は作品主義に立ちかえり、厳選主義をつらぬき、若手作家の登竜門的性格を持つことで、いろんな世代の作家同士が競い合う公募展になること。より自由で魅力のある創作発表の場を目指して…

私にとってこの1年を象徴することを表す漢字ひと文字は「還」である。それは今年の8月で還暦を迎えた時に人生をかえりみれば、ずっとこうして自分の魂を仕事に打ち込めるのは、たくさんのご協力や支えてがあったからこそできること。それ故、縁あってめぐり…

先入観や思い込み

思想家 中村天風が残した「酸いも甘いも噛み分けている年配者のほうが悟りが遅い。余計なこだわりが多くタブめである」という名言がある。 まったくその通りのことである。新しく創作活動する人とって、これほど急激に世の中が変化する時代に、経験から有益…

鍛錬

2004年11月、吉村芳生さんが新聞社に取材された時、「退屈だとして切り捨てられる日常のひとこまから、非日常な新鮮味を発掘してみせる。それが芸術の力でしょう。一輪の花に、そんな力を見出したいんです」という自論を語っていた。 芸術家は素晴らしい感動…

不完全

心理学者 アドラーが残した「自分が不完全であることを認める勇気が必要だ。人間は不完全だから努力するのである」というの名言がある。 人は誰でもその気になれば、自分の欠点や短所なんて、いくらでも探し出すことができる。なぜなら、この世に完全無欠な…

精進

まるで子どものように将来は美術家になりたいという、漠然とした希望があればなんとかなる。なぜなら、希望は未来を明るく照らして、前へ踏み出す勇気をもたらし、弱気を振り払ってくれる。言い換えれば、まだまだこんなもんじゃないと思えるのなら、どこま…

乗り越える

1976年、吉村芳生さんは芸短大卒業後にデザイン会社勤務を経て、この年から再び美術専門学校で学び直すと同時にプロを目指して作品発表していく。すると4年後の県美展で最優秀賞(現大賞)受賞するなど、すぐにその創造は評価されて、それなりに活躍していっ…

情熱

今取り組んでいることに好奇心を掻き立てて、全力を注いでそのことだけを考える。そうすれば、さまざまな試練に出会ったとしても、やりたいことをやり続けていける。熱心はその人の才能を育んでいくために一番の武器になるだろう。好きで好きでたまらないこ…

時を超えて

1985年1月発行の県立美術館ニュース22号に、当時34歳の吉村芳生さんは熱い思いを書き綴って寄稿していた。その中で目を引いた箇所を抜粋して転記する。 科学や医学は合理的な唯物的な世界。それに対して芸術は不合理な唯心的な世界。科学や医学が発達しすぎ…

主人公

「学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある」とは、松陰先生が残したお言葉で、学問をする目的で重要なのは、知識を取り入れることだけでなく、自分の得意分野や、自分が目指すべきものを発見することだという意味である。 いわゆる人生の主人…

自問自答

いわゆる美術家が独自の作風を求めて生きるのは、現状のアートに対する不満からくる渇望の表れ。言い換えれば、独自の作風を求めない美術家とは、現状の才能に満足していることを意味する。もう既に自分の才能は美術の世界で通用するレベルであり、それ故に…

正直

岡本太郎の著書に「自然を見てもそうだ。赤い花があれば、真っ青でひらくこともある。たくましい枝をひろげる大木のそばに、ささやかなつるがからまっている。洋々たる大河があり、せせらぎもある。 人間社会だって、それぞれが生命力のあふれるままに、あら…

熱意

一昨日、広島市現代美術館でコレクション(所蔵品)展を観て回ると、現代美術家 故・殿敷侃さんが1987年に長門市二位ノ浜で約100人の参加者とともに、浜辺でゴミ拾いをアートするプロジェクトで、みんなで集めたプラスチックなどのゴミを燃やして出来上がっ…