2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧
サッカー日本代表元監督 岡田武史の著書に「僕はいつも『自分で山をつくれ!』と発破をかけるんです。これまで胸が熱くなったり、 あるいは心から悔しいと思ったりしたことがなかったのなら自分で意識して、 とてつもない挑戦や厳しい試練の機会をつくる。何…
ブッタの言葉に「自分自身の救済者は自分自身である。他の誰が救ってくれようか。自分を正しく制御してはじめて、人は得難い救済者を手に入れるのだ」がある。いわゆる一般的な宗教では、人知を超えたものを信じて、それを拠りどころとする教義がある。これ…
ピカソが残した「画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことを言う」という名言がある。 この言葉を私なりに解釈すると、画家はみんなに馴染みのあるものを描く人。既存のものを組み合わせることも一つの才能。美術は時…
「子曰く、人の生くるや直し。これをしいて生くるや、幸いにして免がるるなり」という論語がある。これは人生で一番大切なのは素直であること。もし、その素直さもなく生きていられるとすれば、それは幸いにも災難を免れただけ。どんな人に対しても何事に対…
岡本太郎の著書に「ぼくはしょっちゅう不思議な夢を見る。目がさめてアッと思ったり、ふとわからなくなる。いったいオレは夢のなかに生きているのか、現実のなかに生きているのか。人生は奇妙なキテレルなものだ。夢を現実のなかに、異様なバランスをとりな…
昨朝、NHK総合情報番組あさイチのプレミアムトークに、人気脚本家でマルチに大活躍する宮藤官九郎氏が登場。いつもながらの軽妙なトークを繰り広げる中で、つい最近に天に召された人気俳優 西田敏行氏との思い出について語ったシーンが印象に残った。 「西田…
千利休が残した「人の行く裏に道あり花の山、いずれを行くも散らぬ間に行け」という名言がある。これは花を思いっきり楽しみたいのなら、人のたくさん集まるような道より、少ない道の方がじっくりと見られて楽しめるはず。そして、いずれの道へ行くにしても…
孔子の弟子が編集した書物『大學』の冒頭にある「大學の道は、明徳を明らかにするに在り」とは、人はなぜ学ぶのかという問題定義に対して、自己の最善を他者に尽くすことができる、俗に言う徳のある人になることだという意味である。要するに、自分だけの修…
米国第26代大統領のセオドア・ルーズベルトが残した「失敗することがあっても、大きなことに取り組んで栄誉ある勝利を獲得するほうが、たいした苦労もない代わりにたいした喜びもない臆病者の群れに加わるより、はるかにいい。臆病者は、勝利も知らなければ…
いわゆる自分にとって都合のいい夢想状態から、厳しい現実に戻ってしまうことを[真夏の夜の夢のようだった」なんて言う。これはシェークスピアの同名の戯曲に引っ掛けた比喩的な表現で、『夏の夜』『夢』という、どこか解放的なイメージを感じられるため、…
美術家はなろうと思えば誰だってなれる。なぜなら、誰にでもその人だけの個性があって、それを活かしたら役割を担うことができるから。しかも、今の時代は美術学校で習わなくても、ネットで必要な情報を手に入れることができる。要するに創作に使える情報は…
松陰先生が残した「人の精神は目にあり。故に人を観るは目においてす」という名言がある。この言葉は、高い志を持ってことをやり遂げようと意欲に溢れる人は、その熱意が目にも顔つきにも全身に表れてくる。だから、目の奥の輝きがあれば、その人がどれだけ…
岡本太郎の著書に「この世の中には、いい加減なことがいっぱいある。不純なものと純粋なもののふたつの対立で成り立っているんだ。世の中の不潔なもの、不純なものと、よほどの精神力をもって対応しないと、自分の純粋さは保てない。不純のなかでどう自分の…
今年8月にアスピラートで開催した「やまぐち生まれの4人展」で、出展した佐々木範子さんはキャプション(説明文)に「子どものころ、草花で遊ぶのが好きで、(略)田んぼのれんげ、公園のシロツメクサを使って、冠や首飾り、指輪も作っていました。(略)今…
ことわざの「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とは、稲穂が実れば実るほどに穂先が低く下がるように、すぐれた人は知識や素養が深まるにつれて、謙虚な姿勢になることのたとえ。この世界は想像以上に広くて大きいため、あらゆることに通じる人はいない。故に意…
韓非子の教えに「鬼魅易 犬馬難(きみはやすし けんばはかたし)」がある。この言葉は、中国・斉王が画工に「何を描く時が最も難しいか?」と尋ねたところ、「犬と馬」と答えたので、再び画工に「ならば、最も簡単なのは?」と尋ねてみると、「鬼やもののけ…
古くから美術の才能は生まれた時から個人差があると言われて、その理由は各人の生まれ育った境遇がものすごく不平等だからとされている。しかし、美術の才能というものは、実際には不平等かもしれないけど、才能の平等を信じる人の努力の積み重ねによって、…
美術界には「風呂敷画商」という言葉がある。これは読んで字の如く、風呂敷に美術品を入れて、裕福な家の間を行商して回る職業で、画廊などの販売スペースを持っていない場合が多い。しかしながら、上手く顧客を獲得して、事業として軌道に乗れば、社会的信…
サッカー日本代表元監督の岡田武史氏の著書に「経営者でも倒産や投獄、闘病や戦争を経験した経営者は強いとよく言われるのですが、どん底に行った時に人間というのはポーンとスイッチが入る。これを生物学者の村上和雄先生なんかは『遺伝子にスイッチが入る…
岡本太郎の著書に「ひとはみな『ほんもの』を求めている。だが、いい加減のところで状況に妥協し、仮のもので我慢してしまう。なぜか。『ほんもの』があると思っているからだ。『ほんもの』なんてものはない。絶対的な生き方を求め、それに自分を賭けるって…
昨年12月、第12回やまぐち新進アーティスト大賞受賞記念コサカダイキ展の開会式で、前回同大賞を受賞した佐々木範子さんのお祝いの言葉は、美術へ燃えている情熱的な一面が見えて、とても凛々して素敵だった。自分が正しいと思うことを真っすぐに伝えて、そ…
哲学者 鷲田清一の著書に「本当の絆とは何なのか。それは、生きていくために、食べていくために力を合わせて働くこと。そこで初めて人間同士の絆は生まれるのです。物を買うことや遊ぶことからは、真の絆は生まれない。生きるためにお互いが助け合うという心…
昨日の午後は県西部方面に車を走らせて、いくつかの場所をまわってから、最後に閉館直前の下関市立美術館へ滑り込む。ここまで近くに来たのだから当然のこと。やはり美術の世界で生きるには、とどのつまり美術談義をするに尽きる。いろいろなことを語り合っ…
昨夕は市南部のオートマタ作家 原田和明君が主宰するミュゼ・オートマトンへ。実はこの夏があまりにもタイトだったので、県立博物館で彼の作品が主役になった「大解剖!からくりワールド」へ行きそこねてしまい、不義理をお詫びするために参上したのだが、意…
一昨日の夜は県出身者ばかりの若手映像クリエーター集団 FilmYZ1周年パーティーに出席する。とは言うものの、彼らの作品などについての予備知識は皆無に等しく、また、この夜に集まった面々も初対面だらけ。従って末席でゆったりとしながら流れに乗るべし。…
昨夜はインスタのDMでいきなり誘われて、県出身者のばかり映像クリエーター集団 FilmYZの1周年パーティーに出席する。実はイラストレーターりおた君の結婚パーティーで知り合った、母校サッカー部OBで、現在東京を拠点に活動中の鶴丸和幸君が中心になって立…
松陰先生が残した「一日一字を記さば、一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う」という名言がある。 このお言葉はただただ勉強すればいいとしているわけではない。たった一文字で良いから覚えていこう。同じ勉強をしていくの…
岡本太郎の著書に「結果にこだわるからなにもできなくなる。もしこうしたら、こうなるんじゃないかと、あれやこれや自分がやろうとする前に、結果を考えてしまう。誠実に、その瞬間瞬間にベストをつくしたんなら、結果なんていっさい考える必要なし。大切な…
実業家 本田宗一郎氏が残した「人生は見たり・聞いたり・試したりの3つの知恵でまとまているが、多くの人は見たり・聞いたりばかりで、いちばん重要な試したりをほとんどしない」という名言がある。 いわゆる創作人生を歩む人なら、実験していくように作品を…
渾然一体(こうぜんいったい)とは、 別々のものやいくつかあるものが、区別がつかないほど一つになって溶け合っている様子。これと同様に創作する人は日々の暮らしの中で、美術の時間と美術以外の時間に区別はない。言うまでもなく創作は大好きだし、遊ぶこ…