2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧

一長一短

私の若い頃は1日がのんびりとしていた。何をするにも効率よくできないから、じっくりとものごとに取り組めばよかった。いわゆる年月が流れていく速度と、その中で生きる速度のバランスがよくて、何をするにもちょうどいい感じ。なにしろ、携帯電話は登場した…

遊動

「ゆらぎのなかで照応する光と水、そして月。全てのものは動き、生命をはらんでいる。言葉や科学が生まれる前の世界では、万物は未分類で、分かち難く一つであった。光の原糸をたぐりよせ、自然と共に交遊する」というのは、ただいまKAAT 神奈川芸術劇場(横…

古代エジプト展

「エジプトはナイルの賜物」とは、ギリシャの歴史家ヘロドトスの言葉で、ナイル川が運ぶ肥沃な土のおかげで、エジプトの壮大な文明や国家が築かれたことを意味する。 34年ぶりに県立美術館へ帰ってきた「古代エジプト展」。当時、私はギャラリストとして駆け…

革命家

「(仲間や協力者に無理だと言われるものを、どうやって引き込んで乗り切ったのか)まず自分がやる、自分がやってみる。私、若い頃の財産って無知なことだった。どうしたらできるかなんて全く知らなかったけど、なぜ、できないのかもよくわからなかったから…

革命家

「(仲間や協力者に無理だと言われるものを、どうやって引き込んで乗り切ったのか)まず自分がやる、自分がやってみる。私、若い頃の財産って無知なことだった。どうしたらできるかなんて全く知らなかったけど、なぜ、できないのかもよくわからなかったから…

再発見

「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ」というゴッホの名言がある。 大きな夢を無理に追いかけなくていい。なにも一攫千金を狙う必要はない。夢はいつも身近な場所にあるもの。小さなチャンスは発見されるのを待っている。だから、自分…

好きこそものの上手なれ

「世に認められるかそうでないかは、天命による。自分にとってはどうでもいいことである。自分が楽しいことをして楽しむ。それだけで満足なのだ」というのは松陰先生のお言葉。 世の評価を当てにしてはいけない。自分自身が納得するまでやり抜くことだ。どう…

切磋琢磨

イソップ寓話の1つである「ロバを売りに行く親子」。市場で飼っていたロバを売るために歩いていた親子にまつわる物語。道中、その姿を見た人たちから次々に言われるがままに行動して、結局のところ支離滅裂になってしまい、最後はロバが川に落ちて流されて、…

香月泰男狂

「戦争という状況をも、軍隊という国家権力をも、ものともしない芸術家としての強烈な自負があった。戦争のただ中に、絵描きとして放り出され、そして地の果てシベリアで、人間否定の虜因(りょしゅう)生活を強いられ、多くの戦友たちとともに、人間本能の…

月面着陸

「知り得て美しさの増すものがあろうが、未知のままの方が美しいものが多くある」というのは、1969年に香月泰男先生がアポロ11号が月面着陸した際に言われた言葉である。 あれから50年とちょっとの年月が流れた今月中旬、フライトはすべて自動化され、宇宙飛…

月夜の浜辺

この春、中原中也記念館を訪れた時に、中也の詩の「月夜の浜辺」の一節、「月夜の晩にボタンが一つ、波打際に落ちていた。それを拾って役立てようと、僕は思ったわけでもないが、なぜだかそれを捨てるに忍びず、僕はそれを袂に入れた」と出会った。 するとす…

秘密の鍵

「(1960年代半ば、東京で活動していた時に、偶然テレビ番組で点字の特集を見て)白黒テレビの画面に映ったブツブツした点字は、何か空しいような感じがして、あの頃の感傷的な気持ちとピタッときて、『これは今のオレの姿ではないか』と強い衝撃を受けて、…

見えてくる

昨夜、遠方の友からFBメッセンジャーに「NHKラジオ番組 高橋源一郎の飛ぶ教室に、目の見えない人が美術鑑賞する「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」という本の紹介がありました。とても興味深かった。もしよければ、録音、更に紹介された本を読んで…

意味のある画

「今からの美術は、抽象一辺倒ににはならぬと、私は確信している。意味のある画はおとろえぬ。何を描いたか判らぬような画だけが残るということはあり得ぬ。このごろのいい画は、判らぬ、立派な画ほど判らぬ、ということがあったら、それは紙切れに等しい。…

一瞬一生

「武蔵、巌流島の舟島での決闘は作画の呼吸の深奥を極めているものと、いつも思っている。(略)今日描いている仕事が絶筆と言うものになるかも知れぬ、なるであろうと念じおれば、我とてあの心境になれるのではないかと思いもするが。私は、決闘に勝った武…

原点

「(1969年に)私それまでのいろいろな無理が重なって、突然、ひどい眼底出血を起こした。右眼がほとんど見えず、距離感は全くない。美術家にとって致命的な状況であった。ようやく何かをつかみかけていた時でもあっただけに、精神的打撃も大きく、これで私…

ミューズ

「人の精神は目にあり。故に人を観るは目においてす」とは、松陰先生の名言がある。この言葉は「未知の世界への冒険心は目に表れてくる。やり遂げようと意欲に溢れる人は、その熱意が目にも顔つきにも全身に表れてくる。だからこそ、目の奥の輝きがあれば、…

挑む

「菲才あるいは敗をいたすも、素志はついにくだけず」とは、松陰先生のお言葉。その意味は「自分には才能なんてないとか、力不足で失敗をしたとか、とにかく、上手くいかなくても気にすることはない。どんなことがあったとしても、平素から抱いている志は最…

最強のサポーター

1993年4月に発行した宇部の彫刻に「私の、宇部展との関わりは、1969年2月、それまでの無理が重なって、私は眼底出血を起こし、山口大学病院(宇部)に入院療養中でした。それは私にとって、命を失うにも等しい程の重大事であった。その時、故香月泰男先生か…

富士山登山

数年前、富士山登山ツアーの中にはバスで五合目(2305m)までを往復できるプランがあると聴いたことがある。たしかにこのツアーで山頂(3776m)へ行って雄大な景色を満喫できるかもしれないが、半分以上の場所から登頂した場合でも、富士山登山をしたと言…

しなやか

「セトモノとセトモノとぶつかりっこするとすぐこわれちゃう。どっちかがやわらかければだいじょうぶ。やわらかいこころを持ちましょう」というのは相田みつをの名言である。 いわゆる話し上手な人とは、内容的にはわかりづらいことでも、聴く人が理解できる…

触覚

今の世の中、時代の変化するサイクルが早くなっている。昨日の常識は今日の非常識なんて日常茶飯事の出来事。それゆえに時々は目を凝らしていろんなもの眺めてみること。身の回りにあるものから遠く海外の話題まで、大小さまざまなことを自分なりの視点で見…

現代アート

1983年3月発行の山口県立美術館ニュースに、現代美術作家 殿敷侃さんが執筆した『伝統の構造 ヨーロッパで考えたこと」の末文に、「ドクメンタ 7(ドイツ・カッセルの国際的な現代美術展)で、わたしがそこに観たのは『現代という社会性を強くはらんだ作品群…

レボリューション

山口県美術展覧会は、1979年10月に県立美術館のオープンに伴い、これまで以上に美術文化の活性化と新しい人材の応募作品を増やすために、若手作家にとって魅力のある登竜門的な存在になることを目指す。そこで、審査は作品主義という原点に立ちかえり、厳選…

敬愛

「友情というものは、お互いに相手に対する尊敬と親愛の念の絶えざる持続がなければならぬものである」という名言がある。 1947年、戦後まもない時期に在野の美術家たちによって、荒廃の中、手製のキャンバスに手持ちの絵具での制作し、手弁当での展示作業を…

宇宙

「人がそもそも何で星空を見たくなるのか。何で見て喜ぶのかって、ある意味、究極の疑問だと思っている。星を見たいと思うのって、本来は何の意味もないわけ。それを星空を映した部屋の中(プラネタリウム)でも見たいかというと、やっぱり人間って、星空に…

ルールにのっとって ルールをのっとって

「道をそれるなんてそんなの 誰にだってできるじゃないか ぼくはこの道の中にこそ 未知を見い出してみたいんだ 並ぶために並んでるわけじゃない 並びをぶっちぎるためにまず並んでるのさ ルールにのっとって ルールをのっとって一等賞」というのは、竹原ピス…

世界にひとつしかない自分

『私は今、地方で生活をしていますが、地方とはそこにしかない、その地方の風土があり、それを個性として生かしてこそ成功できると思います。集団を都会とすれば、ひとりという地方のほうが個性を発見しやすいし、個性こそ都会(集団)、世界に通用すること…

お辞儀

「挨拶は、人間らしく生きるための基本の心である。親に挨拶の心がないと、それは必ず子供にも表れる」という野村克也氏の名言がある。 そういえば、この人は最初に出会った時から礼儀正しかった。当時はまだ大学生。いつもうつむくような姿勢で、どこか弱々…

言葉が多すぎる

「言葉が多すぎる / というより / 言葉らしいものが多すぎる / というより / 言葉と言えるほどのものが無い」という名言がある。 この言葉は朝日新聞の折々のことばに掲載されたもの。『そうしてつぶやく。「さびしいなあ / うるさいなあ / 顔ひんまがる」と…