2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

外歩き

このたび、ひさしぶりにクリエイティブスペース赤れんがでグループ展を行う。実は1994年から1999年まで、毎年1回ほど「今・アート・山口!」という名で、県内ゆかりの若手美術家たちによるグループ展を開いていた。当時、バブル景気は崩壊したものの、そのお…

判読

幼少期に通った白石小学校は、明治5年(1872年)に全国8番目に開校した歴史のある学校。私が小学2年生の時に100周年を迎えて、それを記念して石碑が建てられた。「草のようにたくましく 雲のようにおおらかに 輪となろう 光となろう」とは、その記念碑に刻ま…

レボリューション

1946年の秋、山口県美術展覧会は戦後間もない時期に、三好正直先生、松田正平氏や尾崎正章氏らが山口県美術文化連絡会を結成し、戦前から活躍していた美術関係者に呼びかけて賛同者を募り、翌年、現在の中村女子高校講堂で、無審査形式による公募展として第1…

リベンジ

昨日の午前中、赤れんがの作品展会場にいた時に、老獪なK先生がお越しになって、いくつも貴重なお話をお聞かせいただく。さすが県美術界の生き字引。とても参考になることばかり。小さな歴史の破片を紡いでいくことで、少しずつ事実がわかってくる。古い時代…

温故知新

昨日より3日間、クリエイティブスペース赤れんがでは、幼児から若手美術家まで一堂に介するグループ展「赤れんが、文化創造の基地へ」がスタート。かつて田辺武さんが期間限定で赤れんがの建物を借り受け、アトリエ・ロフトと名付けて、自らの創作活動の拠点…

リベンジ!

昨日より開幕した山口県美術展覧会は、吉村大星君が約1年間をかけて4枚の100号キャンパスに描いて組み合わせた「ザルの惑星」が大賞に輝く。父・芳生氏(故人)と同じ30歳での受賞。なんとも美術の神様は粋な計らいをしてくれる。これも大星君が中学卒業後に…

おめでとうございます!

1980年、第34回山口県美術展覧会彫刻部門に、審査員をはじめ、美術関係者たちに物議を醸す作品があった。それは新聞紙面に掲載された写真や記事、広告に至るまで、鉛筆でリアルに描いたものを原版に、一万枚ほどオフセット印刷したものを積み上げて、彫刻部…

個性

『私は今、地方で生活しているけど、地方とはそこにしかない、その地方の風土があり、それを個性として生かしてこそ成功できると思っている。集団を都会とすれば、ひとりという地方のほうが個性を発見しやすいし、個性こそ都会(集団)、世界に通用すること…

今に見ちょれ!

2006年、夏の終わりに県美術展覧会の公開審査会が行われ、福岡県在住の美術家 手嶋大輔君の木彫作品「ヒトリゴト2」が選ばれた。当時の手嶋君は29歳。まだまだ無名というべき存在。これから10年経って、コレクターたちに注目されるなんて、この時に誰が予想…

温故知新

「過去を広く深く見渡すことができれば、未来も広く深く見渡すことができるであろう」という名言がある。 今年6月くらいから「赤れんが、文化創造の基地へ 」(11月25日(金)よりクリエイティブスペース赤れんがで開催)を企画するために、山口市の近代美術…

限界はない

サッカー日本代表元監督のイビチャ・オシム氏の名言に「限界には、限界はありません。限界の定義は何だと思いますか。限界は個々の選手の目標で、限界を超えれば、次の限界が生まれるのです」という言葉がある。 いわゆる自分にはそれほどの多くの才能はない…

群盲、象をなでる

仏典にある寓話「群盲、象をなでる」。これは、目の見えない人たちに数人に、正体がゾウであることを隠して、それぞれが鼻や耳、しっぽなどの別の個所を触ってもらい、その感触から何であるのかを想像して語り合った。しかし、触った部位によって感想が異な…

冒険心

岡本太郎の言葉に「手なれたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ」がある。 玄人が素人から学ぶべきことがある。それは失敗すると終わりじゃなくて、そのまま愚直に続ければ、なんとかな…

我思う故に我あり

ここ最近、事前にネットなどで展覧会の内容をよく調べてから足を運ぶ人を時々見かけることがある。それはそれで決して悪いことではない。ある程度は知っていた方が、より深く作品を楽しめる。とは言え、問題点を挙げるとすれば、情報によって善し悪しを決め…

発見する

「我々は人々に何も教えることができない。我々ができるのは、人々の中にあるものを自分で発見する手伝いをすることだけである」というガリレオの名言がある。 昨夕、美術史家の菊屋吉生先生からお電話があり、山口大学の講義でこちらへ来たので、ぜひ臼杵万…

草莽崛起

吉田松陰先生の名言に「草莽崛起(そうもうくっき)」がある。この言葉は「在野の人よ、立ち上がれ」という意味で、幕末に欧米列強に立ち向かうには、藩や武士という枠にとらわれず、国の人々ひとり一人が立ち上がり、国のことを考え行動すべきだという松陰…

努力の天才

ほとんどの人が美術の才能とは、生まれつきのものではない。やり始めは大したことができなくても、努力さえ怠らなければ、個性的なものが磨かれていく。例えば長いトンネル工事であっても、徹底的に掘って掘り抜いていけば、最良の条件で貫通することができ…

芸術論の覚え書

中原中也の芸術論覚え書の中に「芸術というものが、生まれるものであって、こしらえようというものではないということは、如何にも芸術の説明にはなっていないようであるけれど、芸術家である人にはこう聞けば安心のいくことである点に留意してもらいたい」…

即今 当処 自己

赤塚不二夫の言葉に「自分が最低だと思っていればいいのよ。一番劣ると思っていればいいの。そしたらね、みんなの言っていることがちゃんと頭に入ってくる。自分が偉いと思っていると、他人は何も言ってくれない。そしたらダメなんだよ。てめぇが一番バカに…

弱虫でもできること

かつて、臼杵万理実さんの作品に「弱虫でもできること」と名付けたタイトルがあった。これは長年にわたって、等身大の自分を受け入れられなかっただが、ようやく受け入れられるようになったので、自分を戒める意味を込めて名付けたという。いつまでもコンプ…

十年一昔

2012年10月、山口県美術展開催時期に合わせて、『臼杵万理実・佐藤文恵2人展』を企画する。当時、この二人と親しくなってから丸3年。この間、作品制作をこつこつと努力する姿を見て、成果を試す舞台をつくることにした。だけど、無謀な挑戦だと揶揄されてし…

語り合い

スペインの画家 ダリの言葉に「もっといい時代はあるかもしれないが、いまが我々の時代なのだ」がある。 昨夜、日本列島では皆既月食と天王星食が見られた頃、私はギャラリーで親しい面々と美術談義に花を咲かせる。やはり、好きな美術について思う存分語り…

情けは人のためならず

1985年11月、ギャラリーシマダが核となって、山口大学で現代美術のシンポジウムが行われた。私は3つ年下で高校生の友人を誘って参加する。ちなみに彼は早熟野郎。美術にも文学にも造詣が深く、この日もいろんなことを教えてもらう。とにかく、私は基礎知識が…

美術の虫

私が知り得る限り、末永史尚君とは美術の虫と形容すべき人物である。作品制作のためなら苦労をいとわない。実際のところはもがいて、苦しんで、袋小路に入っても、まったくぶれることはない。自分自身が納得して始めたことなら、どんなに手間がかってもやり…

唯我独尊

山口県立美術館が1981年9月に発行した美術館ニュースに、「伝統の構造 デュッセルドルフ通信(Ⅰ) - 若い作家 ー」と題して、当時20代後半でドイツ留学約3年半だった美術家 嶋田日出夫さんの寄稿が載っていた。それによると、作品は県または市の文化財産だと…

空気

ただいま Do a Frontで開催中の「ギャラリーシマダ アーカイブ展」。美術家 末永史尚君が数年に渡って調査研究してきた資料が展示される。その目玉というのか、ギャラリーシマダで行われた数多くの企画展から、末永君が13件ほど選んで制作したミニチュアの模…

温故知新

昨日の午後は、この日から始まった「ギャラリーシマダ アーカイブ展」の会場へ。ここ数年、末永史尚君が調査研究してきたことを拝見させていただく。ちなみにギャラリーシマダとは、1984年に山口市中心商店街に、地元出身の美術家 嶋田日出夫さんと奥様が留…

八百万の神

古くから日本に伝わっている「八百万の神。神道の思想で森羅万象に宿る小さな神様のこと。人々はそんな神々と力を合わせて、平穏な日常を守っていくべしとしている。完全無欠なビックボス的な神様はいない。だけど、小さな神様でもたくさん集まってチームに…

授人以魚 不如授人以漁

老子の言葉に「ある人に魚を一匹与えれば、その人は一日食える。魚の取り方を教えれば、その人は一生を通して食える」がある。 人はついつい目先の結果や利益を得ることだけを考えてしまいやすい。そうではなく、長期的な視点からものごとの本質を見つめて行…

人間は人間と触れ合う

昨日、夕方のNHKニュース番組で藤子不二雄(A)氏のお別れの会の模様が流れていた。冒頭、在り日の藤子(A)氏の映像で、「怪物くんとか、忍者ハットリくんとか、こういう不思議なキャラクターが普通の日常生活のなかに入ってきて、活躍する漫画を描いたら面…