1978年の屈辱

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阪神ファンになってから初めての大きな屈辱は
やはり1978年に球団初の最下位になった時で、
この年の勝率339は1995年にクマオーナーのスカタン発言で
シーズン途中で辞任した中村元監督とフロントとマスコミに対立して、
翌年に同じく辞任した鬼平・藤田元監督のコンビが記録した
勝率354を下回るワースト記録になっています。

ちなみに当時は中学2年生だったので、かなり落ち込みはしましたが、
それまでも数々あった負のドラマが免疫になって、
どこかで達観することができました。

「しかし」

この後に少年の頃から慕っていた田淵選手のトレードというさらなる追い打ちに遭い、
韓流ドラマも顔負けの悲劇が続きました(T.T)

そんなこんな虎たちでしたが未だに腐らず応援することが好きですから、
まずは小さな石を拾い集めるようなつもりで勝利を増やし、
今一度チャレンジ精神で残りのシーズンを戦って欲しいと願います。

ガンバレ我がタイガース!!!

画像は1979年10月8日に川崎球場であった最終戦後の後藤元監督