熱い気持ち

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自分は子供の頃から熱烈な阪神ファンで教科書の下のページにはP.22 田淵幸一、P.28江夏豊など書いては鉄道マニアが駅名を覚えるように選手の名前を反復して学習したり、夜は大阪朝日放送のラジオを聞きては広告紙の裏で作ったスコアーボードを動かしながら応援して熱くなっていてた。ただ、阪神はご存じのように看板スターをトレードに出したり、球団内のお家騒動など成人映画のように子供には見せてはいけないことをモザイクのなしで露骨に味あわされ、おかげさまで人生勉強を積み重ねながらあきらめない辛抱強い性格になってしまった。
たぶん、この性格が母校のサッカー部の応援にもつながり、山口高校に勝てない時代にも必ず全国に行ける日を信じ、10年間に1度しか全国に行けない時も「打倒!山高(山口高校)!」強く念じていた。しかし、この打倒だけの考えは間違いだった。目先の相手に勝つことが目標では全国大会での活躍はありえないだろう。ちなみにこのことに気がつき、「全国区のチームを創る」という理想を有言実行していった多々良の監督は選手を集めるために自腹で寮を築き、また、バスで全国へ練習試合の相手を求めて走り回った。だからこそ今日のチームがある。
「ローマは1日してならず」ではないが、今のめぐまれた環境ができるまでの道のりは平坦ではなく、いろんなことを乗り越えたり、日々の積み重ねから生まれていったのだろう。そんなまぶしいチームに魅せられて懲りもせずに応援に行っています。

(写真は4月29日のプリンスリーグ中国2005、多々良学園サッカー場にて多々良ーサンフレY戦)