ダブルの歓喜

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1997年11月16日の夜はW杯サッカーフランス大会予選アジア第3代表決定戦で日本代表がイラン代表と決戦の日。日本全国でサポーターたちがこの戦いを固唾を飲んで見守っていた頃、自分はテレビの前で祝杯に酔いしれていた。
それは同じ日の昼間に高校選手権大会山口県大会の決勝が行われ、母校の多々良学園の4年連続出場が決まり、その嬉しさを押さえきれなかったからだ。なんて言ってもこの年は高校総体予選準決勝で試合中の負傷者などのアクシデントで敗退し、山口県の覇権を奪回すべく背水の陣で戦いだった。だが、この試合も多々良は主力選手の出場停止と負傷で2人欠場とハンデを背負わされていた。対する総体出場した小野田工業はS級ライセンスを持つO監督を中心にモチベーションが高く万全の状態。苦戦必死で始まったこの試合は両チームの激しい動きを見せながら一歩も譲らないままの前半25分にコーナーキックの多々良のチャンスに高松君がヘッドで合わせ、相手GKが弾いたところを再び高松君がボレーで決めて先制してホットさせる。ところがここからエンジンがかかった総合力で勝る小野田工の怒濤の反撃がはじまり、シュートのラッシュで攻め続ける。何度もゴールを脅かす小野田工の攻撃を多々良守備陣の気迫ある踏ん張りやゴールポストにも助けられ虎の子を守って1-0で辛勝した。いわゆる勝負に勝ってサッカーで負けた試合だった。しかし、この日負けていたら今の多々良はなかったかもしれない。全国大会へ連続出場できたのも彼らの執念の賜だろう。だからイラン戦が始まるまでに何度も祝杯してハイテンションで日本代表を応援してしまった。もちろんW杯出場が決まってからもあらためて祝杯を呑んだ。
嗚呼、素晴らしい!!エキサイティングな夜に乾杯!!
ところでこの時の多々良のメンバーには横山君(マルの中の数字は当時の学年)が大宮アルディージャ、得点を決めた高松君,魯▲謄邑淮愼鐱楝緝修蚤臺トリニータ、藤田君FC東京、中山君,魯灰鵐汽鼻璽貉ニ擇噺綟Jリーガーになったたのもしい連中がプレーをしていた。

(画像は2004年11月21日 高校選手権大会山口県大会決勝)