青春時代

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ぼくは、若さへの憧憬(どうけい)と羨望と敬意、それに、自らがもう決して遭遇出来ない

と諦めきっていることの無念で、球児たちを見つづけていた。たしかに夏の陽の中に、

過酷さに陶酔して、なお夢を追い求める青春の姿があった。しかし、閉会式の翌日、

それは見事にかき消えていた。季節がこの間に秋に変わったこともあるが、

青春の似合う少年たちの姿を現実の中に見ることはなくなっていたのである。   阿久悠

1976年に流行った歌謡曲「青春時代」。当時、小6だったため、意味を知らずに口ずさんでいた。今夜、作詞し阿久悠氏の著書を読んでみると、この歌は「青春という時代は不確実で不透明で、実に理不尽なものである。この理不尽さは高校野球と共通している。だが、それも、誰にも与えられた有限の試練だと思えるから耐えられ、あとになって、ほのぼのさに変わったりできたのである。青春は素晴らしい。だからといって、あの時代をもう一度やろうとは思わない。それほど辛いからである。」と書かれていた。そして、末文に「今、青春がないと感じるのは、年代の結び目がなくなったノッペラボウの一生で、十五歳も四十歳も同じ顔をし、同じ思考しようとしているからかもしれない。」と書かれて、ここ最近、少しだけモヤモヤしていた鬱憤が晴れて、なるほどと思いました。