昨夜のタイガースのゲームをYahooの動画で見ながら思い出したのは1978年の後藤監督。
現役時代は二塁手と外野手として活躍し、愛称「くまさん」と呼ばれた親しまれ、
引退後の1969年と1978年の2度の監督生活は、いずれも藤本監督と吉田監督という
大物監督の後に就任したため「つなぎの後藤」とも言われました。
このうち、1978年のシーズンは中2だったので、なんとなく覚えていて、
「投手陣の不調」だったのは田淵選手のリードが悪かったと言われたため、
控えの片岡捕手がマスクを被る機会が増えて、田淵選手は赤鬼・ブリーデンの故障・退団後の
一塁を守らされていましたが、新鋭の掛布選手の台頭など、チームの中心の座が危うくなったせいか、
リーダーとしての自覚のない発言を繰り返してしまい、シーズンオフには真弓監督などとの
トレードに発展してしまいました。
ちなみにあの時は選手の一人一人の個性を容認した後藤監督の九州男児としての懐の深さが
災いしたという言葉を思い出して、またその年、球団史上最悪の勝利率だった記録が
頭の中をよぎって、背中が一気にゾッとしています。
どうか九州男児の真弓監督!!!
ここは優しい心を鬼にして思い切った采配してください!!!