荒野のカメラマン

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その人と初めて出会ったのは高校生の頃。ある日曜日の午後に萩へ母やその他の大人と出かけた日のことだった。当時、私は美術家と言ったら尖っているイメージしかない。社会に対して一線を引いて、独自の世界観に浸り続けて、強いくせが魅力で自己主張をぶつけてくる、そして、どうしようもない性を持つ人たちだと思っていた。それはもしかしたら今現在も変わぬものなのかもしれない。なんだかんだ言っても10代の感性はそれなりに正しかったりする。裏を返して言ったら私の美術家との出会いは、いきなり戦地に放り出されて戦うしかなかった。あの時代、美術家との接点は摩擦でしかない。ごりごりと圧をかけられて、攻められることが当たり前な時代。年長者の理不尽な戯言がまかり通り、ちょっとした隙は全く許さなかった。
しかし、そんな因襲が残念ながら続いている時代に、その人は私を最初から普通に接してくださった。こんな紳士な振る舞いができる人は滅多にいない。さらにあれから約40年近く経った今でも同じ距離感のままでいる。しかも私のつたない質問に対しても、いつも嫌な顔をせずに真摯に受け止めて、すぐに納得する語彙力を使った回答が素晴らしい。おそらく東京の写真学校から戻った頃、「写真による美術表現とは何ぞや?」と言われていた時代。一般人だけではなくて美術に関わる人たちでも、写真芸術の真髄は理解されることは厳しい。つまり荒れ果てた土地に立って、一から種を蒔いて理解されるように、地道に活動していった。写真というものの面白さをみんなが楽しめる文化を育みたいだけなのだ。
昨日、改めて聖人という言葉がふさわしい写真家だと思った。たった1人、そのたった1人を仲間にするために努力されている。ぜひこの機会に多くの方々が作品に触れて、写真でしか味わえない世界を堪能することに期待し、また、作品によって人生が刺激されることを願ってます。