花は桜木、人は武士

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この春はなんだかんだ言っても桜の花を長く楽しむことができる。昨日、春の嵐と言うべき激しい風雨の中、近くを買い物のために歩いていたら、散りそうで散らない桜の花と出会い、なんとも切なくて愛おしい気持ちになった。「花は桜木、人は武士」ではないが、桜は花の中で一番散り際が美しいことで知られ、滅私奉公して潔く生きた武士たちの代名詞。とはいうものの、咲いた花が荒天にも負けずに粘って散らないことは素晴らしい。青葉の方が明らかに目立っているけど、ピンクの戦士たちの善戦は賞賛に値する。やはり自然に存在するものはたくましい。人知を超える生命力を持っているのだ。季節外れの北風に身を切るようなを寒さを覚えながらも、小さな花の命に励まされて心があたたかくなっていった。

そうこう考えながら家に辿り着いた時、ぼんやりと「疾風に勁草(けんそう)を知る」という言葉が浮かんできた。なんともハッキリと覚えてはいなかったので、ネット検索で調べてどういう意味かを思い出す。これは激しい風が吹いて、はじめて丈夫な草が見分けられるように、困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意思の強さや節操の堅固さ、人間としての値打ちがわかることの例えだ。見栄えが良く美しくても簡単に萎えてしまってはいけない。どんなに泥臭くと言われようが、しぶとくやり続けていくこと。如何なることがあって怯むこと前へ進んでいく。負けてたまるかと奮起することが大切なのだろう。

おそらく、この桜たちは私にこう教えてくれた。たった一度の人生だから本気になればなるほど、雑念が消え去ってチャンスに気づけるはずだ!と。余計なものに興味を持たず、ただただ自分がやりたいことに邁進すれば、いつの間にやら活路は見出していけるもの。好きであることを貫いて素直に生きたらいい。つまり好きこそものの上手なれだ。桜は桜でありたいから頑張れる。目に心に焼き付いた素敵な桜に感謝する。