ゴッドファーザー

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彫刻家 田中米吉先生は永遠の少年という言葉がよく似合う。有力者に好印象を与えるために機嫌を取ったり、売り込むために近づいたりすることはしない。そういう場面で出くわしても空気読むや計算することはない。そのかわりにいつも真剣に持論を語られた。しかも、時には子どものように素直な感情を出して、いわゆる天真爛漫に振る舞う方だった。

私もその微笑ましい天然ぶりに何度か遭遇した。例えば、上京する前日に外郎を買い求めて先生のお店に行った時のこと。偶然にお出会いし、「明日から東京へ行きます」と告げると、先生の知り合いの方に外郎を届けて欲しいとお願いされたので了解すると、なんと木箱に入った立派なセットを手渡された。これって半端じゃない大きさと重さになるので、旅の前半は良いトレーニングになってしまった。

そんな先生と最後にお会いしたのは2年前の夏、ニューヨークでの個展の前だった。その少し前に、ある方が先生のニューヨークの個展で役立つ図版を企画しただが、結局、「美術作家が自分の作品はこういうものだと語ってはいけない」というポリシーが壁になって、キャンセルになったという話が耳に入った。作品をこういう風に観て欲しいとリードするのはよくないが、作品のコンセプトや活動歴などをオープンにして、作品の導入口をアピールしなければ、多民族都市の人たちに興味を持たれないだろう。ましてや本人が健康の理由で会場へ行けないのだから「これが米吉だ!」と主義主張をハッキリさせた方がいいはずだ。

そこで先生にお会いしてこの思いを直訴してみる。ニューヨーカーにインパクトを与えましょう!しかし、先生は意思は正に鉄のように固かった。私が紹介した英語に堪能な美術家に、プロフィールを英訳するまでは歩み寄ってくださったが、その他のことはけんもほろろで見送りになった。それでも先生は帰り際に、「君はオレのことをこんなにも思ってくれたんだなあ。ありがとう!」と言って、がっちりと握手をしてから立ち去っていった。とりあえず、私は気持ちが伝わったのだ。先生に喜んでもらえたことに満足した。今もこの時のシーンは目に浮かんでくる。ゴッドファーザーは最後の最後まで偉大でカッコ良かった!これからも先生の魂が宿る場所へ出かけてみよう。彫刻作品を観ながら、米吉節を思い出してお会いしよう。合掌