月夜の浜辺

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この春、中原中也記念館を訪れた時に、中也の詩の「月夜の浜辺」の一節、「月夜の晩にボタンが一つ、波打際に落ちていた。それを拾って役立てようと、僕は思ったわけでもないが、なぜだかそれを捨てるに忍びず、僕はそれを袂に入れた」と出会った。

するとすぐに頭の中に夜の砂浜を歩く中也の姿が浮かんできたので、その言葉の前に少し立ち止まり、あれこれと自由に空想にふけてしまった。そう言えば、私も小学生の頃に石ころとか、木の破片なんかを家に持ち帰ってことがあるなあ。しかも、しばらくは勉強机の上に置いたまま、価値のないものを飾っていたっけ。ついついそれらを見ているうちに、親しみが湧いて手放し難くなった。まったく意味不明な馬鹿馬鹿しい思い出だ。

だけど、本能的な行動って説明がつかないように、よくわからない自分の気持ちを知るために、何かを拾っては確かめようとしていたのだろう。不安定というより不思議な感覚の象徴が欲しかったのだ。中也も同じだったのかな?お月さまとボタンという、大小2つの円を照らし合わすことで、微妙に揺れる思いを伝えたかったのかもしれない。そうやって、自分の経験と中也の言葉を重ね合わせると、ググっと身近に感じてくるから面白い。今夜は十五夜。月夜の晩に中也と想像の世界で語り合ってみたい。