テキサスの荒熊

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トロント・ブルージェイズで代打要員として控え選手だったフィルダーは1989年に来日。
柏原純一打撃コーチの指導で変化球打ちを覚えて、投げつけたバットで小指を骨折し帰国するまで
38本の本塁打を打つなど虎の主力して活躍しましたが翌年の契約交渉に失敗して退団します。
その後、デトロイトのタイガースで入団して1年目から本塁打と打点の2冠王を獲得する大活躍し、
本塁打は2年連続、打点は3年連続タイトルホルダーに輝きましたが、
2004年に「ギャンブルにのめりこみ、莫大な借金を抱えて自己破産した上に蒸発した」
という悲しいニュースで近況を知ることになりました。
なお、フィルダーの伝説である横浜スタジアムであったプロ野球史上最長の約190メートルと
言われた場外本塁打の打球が落ちた所を記念して横浜虎虎さんは家を建ているそうです(嘘)

画像は1989年5月2日に香田から打った広告を直撃した公式記録140メートル弾を打った時のものです。