プラスに考えましょう

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1985年9月4日、ナゴヤ球場での中日戦の試合前の練習中に
山本和行投手がアキレス腱断裂のアクシデントが発生し、
このシーズンを33試合を5勝6敗11S、防御率2.70の成績で
チームを牽引していた抑えのエースが離脱のニュースは
21年ぶりの優勝争いに大きな暗雲を覚えましたが、
この時プロ入り2年目の中西投手コーチが
抑えの切り札として活躍して優勝に導きました。

あれから21年。

中西投手コーチの高校の後輩である藤川投手が
久保田投手の骨折離脱の穴を埋めるために抑えに回り、
さらに和歌山簑島高出身のルーキーだった嶋田弟が
1985年の時には手薄な投手陣を支えましたように
市立和歌山商業出身の2年目の玉置投手が昇格と
歴史は繰り返され、

そうです!

日本一になる予兆に溢れています\(^O^)/
と、プラスに考えましょう。

ただし、玉置投手は藤田平氏と同じ血統(出身校)というのが妙に気になりますが・・・