雑草魂

イメージ 1
 
 
小4で始めたのは少年サッカー。カッコイイドリブルをしてシュートを決めたい…
なんて野望はなかった。っていうか、プロ野球ばかり見ていたからサッカーの
ルールや動きがよくわからないのだ。さらに来たボールを蹴り返すくらいの能力。
しかもまともに蹴れないから最初の内はサッカーが面白いなんて感じなかった。
 
しばらくして夏休みが終わり秋になった頃、わずかながらサッカーに目覚める。
いつものように行われる練習でゴールキーパーをした時にシュートを偶然にも
数本ほど止めた。間違いなくまぐれ。たまたま立っていた場所が良かった。
それでも初めて先生に誉められた。この日まで怒鳴られっぱなし。ビンタも日常
茶飯事の時代。いつやめてやろうかばかり考えていたから、急に褒められると
いきなり2階級特進したような気分だ。サッカーが楽しくなった。
 
これがきっかけで創意工夫が始まる。学校の図書館でサッカーの本を読み、
先輩たちのやるゲームを見学しては考えるようになった。特にキーパーは性格的
にも向いていることに気が付き、背中にするゴールポストの位置がわかるように
こっそりと目印の線をグランドに引くなど、なんでもかんでもいろいろと試してみた。
 
そんなある日、学年の壁を越えて6年生まで混成でゲームをした。指導者は
基礎練習よりも、みんなで仲良くサッカーゲームで遊ぶことをモットーとしている。
また、先輩後輩が交わることで礼儀や自然に仲間となることを根ざしていた。
私はこの日のゲームでキーパーに抜擢される・・・と言えば聞こえはいいが、
みんなフィールドでボールが蹴りたいから「お前やれ!」くらいの乗りで指名される。
だけど、私はそれなりにキーパーが面白くなっていたから喜んでいた。
 
だが、世の中はそんなに甘くない。このゲームでは一気に地獄に突き落とされる。
何が起きたかと言えば、体格に勝る6年生のシュートが止められない。
ごく当たり前な話だけど、気持ちほど伸びていた鼻っ柱を真っ二つに折られ、
もう泣く寸前ぐらい悲しかった。中でもロングシュートを決めらた時の情けなさ。
皮ではなくゴムのボールだったため、よく飛ぶボールだったが、クロスバー付近に
蹴られたボールはどんなに頑張っても手が届かない。そのボールの軌道を目で
追いながら両手を天へ伸ばしてジャンプ。結果、万歳したまま仰向けにひっくり
返った。なんとも惨めな倒れ方。そしてみんなに見られて笑われてしまう。
嗚呼、言葉にならない屈辱だ。行き場のない悔しい血が全身を走り回っていた。
 
ただ、冷静に考えれば、きっと「もっと、うまくなってやる!」という熱意が足ら
なかったから手が届かなかったのだろうあの頃、今ぐらいサッカーが好き
だったら違ったかもしれないが、それより体力のないことで気力が湧いてなかった。
スポーツでの心技体は正しいものだ。でも今も燃える魂があるのはこういう日の
積み重ね。「ハングリーさ」って、過去の不都合な自分と向かい合うことで
養われていく。美しい昔話に酔いしれていては心がメタボになっていくだろう。
 
日曜日、ロンドン五輪アジア最終予選のシリア戦で、後半ロスタイムによもやの
痛い失点になったあのゴールを観た瞬間に小4の仰向けになった日が甦った。
判断ミスで許した1失点目を引きずったキーパー。その後、立ち直ったように
思えたが悪い残像は簡単には消えなかった。やはり彼はまだまだ若い。
この姿を見ていて、なんだか自分のことのように胸が締め付けられた。
 
頑張れゴンダ!残り2戦にベストを尽くせ!五輪でもサッカーで熱くさせてくれ!