元祖プレイングマネージャー

イメージ 1

この画像は2000年の甲子園での最終戦で3年連続最下位が決まった後に
当時の野村監督や選手たちが挨拶をしたものです。

子供の頃に南海の4番打者兼監督という華々しい活躍をした全盛期を見せつけられ、
解説者時代にはノムラスコープという画期的なアイディアを生み出し、
ヤクルト時代は若手選手を育成すると選手を再生させます手腕を発揮した
野村が阪神の監督なった時は暗黒の時代を脱出できる救世主として期待しました。
しかし、今岡をはじめ主力選手・岡田彰布2軍監督・阪神OBなどと確執や
サッチースキャンダルが起こって後味の悪い辞任なりましたが、
若手選手の井川、福原、赤星、藤本、濱中などを積極的に起用し、
また、矢野捕手に一人前にするなど選手育成には貢献したことは間違いなく、

「ヤクルトの選手は大人だったけど、阪神の選手は子供だった。
 私は昔の人間だし、やる気がない選手は使わなかった。
 私のような年寄りにはチームがまとめられないと、
 久万オーナーに相談しました。それで、星野を監督にと要請しました。」

と、最後は当時の星野監督誕生の試金石を作っていたことにも感謝したいものです。