世界記録

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1977年9月3日に後楽園球場で行われました巨人対ヤクルト戦の3回裏に
ヤクルト鈴木康二郎投手の投げたシュートを巨人王貞治氏が打った打球は
低く鋭くのび右翼席中段へ飛び込み、元アトランタブレーブスハンク・アーロン選手の
通算755本を抜く756号の本塁打を記録を達成しました。
しかし、当時の後楽園球場は両翼が90辰發覆、
また野球のレベルの差があるとの主張から
世界記録よりメジャー記録の方価値があるような扱いになり、
ただ、このような考え方は2003年に韓国プロ野球
今季から巨人入りしました当時三星ライオンズのイ・スンヨブ内野手
56本の本塁打を打った時にアジア記録と呼んでいたことを
日本のマスコミなどが冷ややかに対応していたことと同じ感覚なので、
まあ、要するに野球がある国同士が対戦してレベルを計るものさし(大会)が
なかったことからこのような閉鎖的に記録は扱われたと思います。

そんな野球界にも初めて公式の世界大会が行われ、
ややベストと言い難い運営方法ではありましたが、
各国の野球レベルが大きな差がなく、
拮抗していることを感じられる試合を内容の中で
日本が初代世界王座になりました。
これは日本の野球史が世界に誇れるものだったことを証明でき、
王監督の世界記録が持つ価値を大きく上げ、
また、足かけ7年、896試合フルイニング試合出場中の阪神・金本が
順調にいけば今季開幕から9試合目となる4月9日の横浜戦に
カル・リプケン氏が保持しています904試合の世界記録を塗り替える
905試合の値打ちも上げてくれたことでしょう。

ですから世界一になったことは素晴らしい!!!