今昔岡田物語

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1980年、ドラフト1位で入団したばかりの岡田監督を「新人」という理由から
当時のブレイザー監督はヤクルトから自由契約で移籍したヒルトン内野手を出場させましたが、
それを不服に感じた阪神ファンから卵を投げつけれるなど過度な嫌がらせが起こったため、
阪神球団はポリシーも節操もなくあっさりとヒルトンを解雇し、
それに怒ったブレイザー監督が辞任する騒動がありました。
これがいわゆる「ヒルトン事件」で、岡田監督はこの時の心の傷が残ったため、
一度起用した選手は頑固に使い続けるという性格になったと言われます。
ちなみにこの時私は高校1年生の多感な時に下記のような順で事件が続くので、

1978年(中2)掛布の台頭により田淵幸一トレード放出、江川問題発生
1979年(中3)小林⇔江川トレード
1980年(高1)ヒルトン事件
1981年(高2)エモやん騒動
1982年(高3)島野・柴田の両コーチによる審判への暴力事件

と、ウッキー母の藤圭子の歌のように暗い青春時代を過ごすことになりました。

そんな経験を乗り越えた私にすれば、
どんなことが起きてもそれを受け入れていけますので
大きなショックはありませんが、
ただ、今回の戦いで大きな不満が生まれるのは
旬な若手選手を積極的使っていかない岡田監督の姿勢で、
これがロッテ・ボビー監督との差でありますし、
そして、かつてのヒルトン事件被害者が
今度は加害者のようになりそうだということです。
正直、毎年優勝して欲しいけど、
それは難しいことだとわかっていますから
ならば阪神から新しい選手が生まれていき、
ファン魂を燃やし続けられるように育てて欲しいものです。

なお、画像はヒルトン選手です。