少年時代

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1970年の夏、大阪万博の見学を兼ねて京都の親戚宅へ行った時に
おじさんたちが楽しそうに野球中継を見ていたので、
その輪にどうしても入りたくなって、
わけのわからないまま一生懸命テレビの前で応援しました。
ちなみにこれが阪神との最初の出会いで、
阪神ファンとして自覚して生きていく約2年前の出来事でした。(byその時歴史が動いた

だけど当時は阪神情報のほとんどない山口で
しかも野球に興味のない家族の中で、
阪神道を歩むのは厳しい条件だったはずですが、
社会教科書の「阪神」工業地帯と書いてる字を見ては胸をときめかせ、
漢字ドリルはしなくても「田淵幸一」という字を覚えるまで毎日学び、
勝敗表を見ているうちに二桁の算数ができるようになるなど、
学校の勉強を応用しながら励んでいましたので、
「野球博士になるために頑張りなさい」
と、早くから学校先生にはサジを投げられていました。

そんな少年時代にバイブルとして読んでいたのが
水島新司さんの野球漫画「男どアホウ甲子園」で、
少し年上の従兄弟が愛読していた少年サンデーで偶然見つけて、
よく遊びに行っては続きを読ませてもらい、
物語に出てくる主人公の藤村甲子園ではなく、
その祖父・藤村球乃進が甲子園球場職員で
グラウンド整備の達人芸に憧れていました。
これは自分が野球をするよりも縁の下の仕事が
カッコ良く感じたからで、
この時の想いが現在の仕事へ大いに関係していると思います。