犬と猫

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一昨年、南米コスタリカのある芸術家が餓死寸前の犬を展示して「犬の餓死」
という芸術を発表し、「犬の死については語りたくない…。重要なのは普段路上で
飢えて死んでゆく動物についてはまるで無関心であるにも関わらず、こういう
イベントになるとこぞって観にくる(騒ぎにする)って事だ!」と発言した上に
これはまだ準備段階に過ぎないと宣言したことで人々から非難されました。
 
その後、芸術家は美術館で保健所が捕まえた犬を作品を展示。
ただし、「助けたい人がいたらご自由に」と書かれた言葉があったため、
会場へ来た人たちはこぞって犬を連れて帰って救い、餓死する犬はいません
でしたが、芸術家は「私の(作品の)準備はこれで終わったので展示をやめます。
どうぞ皆様これから行われる出来事をお楽しみください。」と意味深な言葉を
残し去っていきました。
 
そして、数ヵ月後、 流行と偽善の気持ちで集まった人々は飼うのが嫌になり、
再び公園や路上へ犬たちは捨てられて「犬の餓死」の作品は完成したという。
 
このことを思い出したのは、先日、将棋棋士が野良猫に餌をあげ続けたため、
環境汚染や精神的な苦痛を感じた近隣の住民との裁判についてのニュースを
見た時のこと。私は住民の方々の気持ちはよくわかるし、かといってクリスチャンで
ある棋士気持ちもわからないわけではない。
 
ただ、言えることは一番悪いのは誰かをコスタリカの芸術家の完成させた
作品が教えてくれるような気がします。