冷暖自知

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諦めるの語源は明らめるである。言い換えれば明らかにすること。すなわち細かいところまではっきりとさせていく。自分を試して実力を知ることで、世の中の道理をわきまえられるのだ。自分の願望が達成できない理由が明らかになり、納得して断念するという達観した境地に至るだろう。私もさすがに40歳を過ぎた頃からは諦めが良くなってきた。今さら新しいことをして上手くいくとは思えないし、また、未知の分野に魅力を感じなくなった。ただし、夢を持っていない訳ではない。自分の身の丈にあった夢がわかってきた。実現可能なものに向かって努力すればいい。どんな年齢になっても、その時々にやれるものがあるはずだ。

ちなみに禅語の「冷暖自知」(れいだんじち)という言葉で例えるとわかりやすい。これは水の冷暖は自分で飲んだり手につけたりして知るように、真の悟りは修行を積み重ねて、感触を自分自身で知るという意味だ。このたびの藤山さんの創作に対する姿勢を表したもの。この世界は自分で考え、自分で工夫し、自分ひとりで想像するしかない 。例え基本的なことは教わったしても、その他は自分でいろいろと経験し、自分で研究しなければならない。本物の力、真の実力を養うために、日々、仕事が終わってから創作する。後天的な才能を磨いて新しい夢の扉を開いていったのだ。この次の作品展も楽しみに待ってます。私も一緒に夢を見るために負けずに努力あるのみだ。