ひととひと

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「私はこれまで会ったすべての人の一部分だ」という名言がある。

自分とは少しばかり違った価値観の人たちと触れ合っていく。あまり馴染みのない考え方やよくわからないワールドの人たちと出会っていく。やはり机の上で勉強するより現場で学べることの方が多い。もうすでにいろんなことが定まっているように思えて、新しく何かを創り出す余地がないように思えるけど、実際のところ、決してそんなことはない。なぜなら社会は常に変化し、予期せぬことも起こり、そして、文明の進化はどんどん加速していく。いわゆるこの世は諸行無常。すべてのものは移り変わり、永遠に変わらないものはない。この基本を忘れないで、肌で感じて得た知識増やすことが大切になるのだ。

つまり、人は人との出会いによって刺激され、個性的に生きていけるようになる。言い換えれば、人と人出会いは成長するために一番必要なこと。新しい日々に新しい人たちと出会うことで成長していくことできる。だから、これから何を目指していくのか、そのことをしっかりと認識したうえで、長所を伸ばすことに邁進していけば、才能を開花させる可能性が高まるだろう。いつも好奇心を羅針盤にしてワクワクしていよう。きっと見たことも聞いたこともないものに出会えるかもしれない。賢い者は、偶然に出会うよりも多くのチャンスを作り出すものだ。いつも自分らしい理想を持ち、その信念の通りに生きれば、たくさんの人との出会いのチャンスにめぐまれるはずだ。

疑問符

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「否定と出会うことが出発点である」という名言がある。

この世の中、ただ教えられたことをそのまま鵜呑みにしてはならない。誰かに言われたようにするだけではない。どんなことでも自分なりに考えていくこと。とことん自分自身で頭をひねって、借りものではない答えを見つけ出す。たとえ偉い人の発言だったとしても、本当にそうなのかを素直に疑ってみよう。単なるへそ曲がりにならないように、その疑問を解くために自分で調べて、それから自分らしい答えを導き出すことが大切になるのだ。

そうやって、ものごとを複眼的に触れていくうちに、自分の得意とするものがわかったり、これから自分のやれそうなものがわかってくる。このようなことを繰り返すうちに、自分が取り組むべきテーマと出合い、自分なりに生きがいを感じながら、一所懸命になることができるだろう。つまり、世間一般の常識や知識を疑うことは、自分らしさを知るための出発点になる。それ故にいくつになっても疑問を持つために、知的好奇心を刺激する素朴な目を養おう。ちょっとした疑問と向き合って、オリジナリティーの元素にして、創作人生の旅を味わっていこう。

オンリーワン

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本日は第74回山口県美術展覧会の審査会の初日。このたびはどのくらいの出展数があったのかはわからないけど、応募した方や鑑賞者などが「なるほど、これならいいかも」と思える結果になることを期待したい。とにかく、この世の中はあちらを立てればこちらが立たず。みんなにとって良い結果になることは難しい。出展した全員の作品が飾られる展覧会でないため、審査員の目に留まらず、思わず落選してしまうこともある。出展作品以外のことは問わない一発勝負。それだけにどんな結果になるのかはまったくわからないのだ。

 

しかしながら、県美展は出展する美術家にとって腕試しであることを忘れてはいけない。日頃から取り組んで制作している作品の成果を問うためにある。もちろん、すべてが正しく審査される訳ではない。あくまでも相対的な判断になるだけに、その結果に一喜一憂しないことが大切だ。また、どちらかと言えば、運不運で選ばれることの方が多い。実力者の作品がそのまま選ばれることもあれば、審査員の深読みであばたもえくぼになって、実力以上に評価されて賞に選ばれることもある。

 

美術家は審査員に受けなくても、やりたくてやりたい人がやる世界。万人に広く行きわたるようなエンターテインメントではなく、極端に言ったら、たったひとりの人に深く響かせるオンリーワンのものを目指すこと。自分の個性的なものを押しに押していくしかない。だから入賞入選できたら、それはあくまでもおまけ。終わりのない創作の旅の一里塚だと考えて、自分がやるべき世界をやりきる覚悟で挑戦するしかないのだろう。

未来へ

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昨日までしていた「臼杵万理実作品展」は、独特のキャラクターで不思議な魅力が伝わる作品によって、ギャラリーに芸術の秋を感じさせる心地よい風を吹かせて、たくさんの方々と楽しいコミュニティを築くことができました。これもご愛顧してくださった皆様のおかげです。心より感謝いたします。
このたびの作品展は「美しいものを創作しようとする努力ほど、人間の魂を清めてくれるものはない」というミケランジェロの言葉のように、臼杵さんも個性的で独特の表現を目指し、こつこつと努力を積み重ねているため、やればやっただけ背中のオーラは美しく輝き、来場者たちを明るく包み込んでくれました。
来年の個展でも夢と希望を感じさせる作品を創り出せるように精進すること期待したいと思います。どうかこれからもこれまで同様に大きく成長していくために叱咤激励をよろしくお願い申し上げます!

小学生メンタル

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昨日、NHK総合テレビ番組 週刊まるわかりニュースの特集は、「ことばから分析!大谷選手」と題し、ア・リーグMVPを受賞した大谷翔平選手のインタビューでの言葉を明治大学斎藤孝教授が丁寧に解説していた。私はその内容があまりにもわかりやすく、また、美術家にも参考になると思ったので、以下のように書き綴ってみた。

「(インタビューの)全体を通して無駄な謙遜がない。日本の受け答えの悪い習慣でもある、無駄な謙遜が排除され、すっきりした感じ。しかも素直に心情を表現して嫌われない人格。そして、今日は良かったとか、悪かったが出てくることが、すごい幸せなこと。悪いということが、悪いことではない。悪いことがあって、それを含めていい日だった、いい1年だったという、(達観した)まとめ方。

悪いことが起きるということは1つ上のレベルでチャレンジしているから。低いレベルだったらいいことしか起こらない。悪いことが起こるような場所に自分の身を置き、チャレンジしているため。(悪いという)課題が見つかるということは自分が向上していくチャンス。チャレンジする場に身を置けていること。それが幸せなんだと。そんな率直で前向きさは、小学生のメンタルの良さをそのまま維持していることが大きい。もう一歩難しいことに挑戦したくなるのは幼児や小学生には普通なこと。そんな当たり前の向上心を大谷選手は持っている。つまり、小学生は謙遜しない。自分の心のままを言う。みんなやっていたが忘れている状態。それを思い出すだけでも、(人生観が)ちょっと変わってくるはずだ」と、このような内容で大谷選手に賛辞を送っていた。ちなみに私は”小学生メンタル”という言葉を聴いて、すぐに頭に臼杵万理実さんの顔が浮かんだ。彼女がいろんなタイプの人と仲良くできるのは、飾り気のない素直な子供のような心から繋がるのだろう。

ファイト

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誰でも創作活動を続けていると、必ず自信喪失することと出くわす。それも1度や2度なんて生やさしいものではない。逆立ちしてもかなわないレベルから、手の届きそうな歯がゆいものまで、行く手を阻む壁のようなものが繰り返し現れ、その都度、身のほどを知らされて、挫折感を味わうことは当たり前だと思うべきことだ。

ただし、この世にずっと順風満帆に生きられる人はいない。打ちのめされたことがない人なんて存在しない。美術で勝負するために、実力を試して成長しようと思うのなら、辛酸から逃れることはできない。苦労は買ってでもした方がいいと腹をくくって向き合い、あきらめずにやり続けることで才能は磨かれる。とにかくなんとかなるさと開き直って、辛抱強くやることが大切になるのだ。

つまり、活き活きと創作意欲がある美術家とは、あらゆることに努力を払って進もうとする人のことをいう。時にはあれこれと迷って、緩慢な動きになることもあるけど、夢と理想を見失って、ぼんやりと座り込んでいるのではない。今まで美術がやれてこれたのなら、これから少々辛くてもやることができるはず。そう思って自らを励まし、いつも可能性に挑戦していく。そうやっているうちに、美術家としての展望が開けるのだろう。

いつまでも学びあるのみ

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時々、市立図書館でさまざまな分野のティーンズ向けに作られた本を借りることがある。その理由はとても単純なもの。もう一度、若い頃に戻ったつもりで基本的なことを学んだり知ったりするためだ。なんてたって高校卒業してから約40年間。義務教育を含めて勉強したことは、ほとんどと言えるほど覚えていない。きれいさっぱり忘れている。だから、あらためて触れてみると新鮮に感じられて、また、私の若い頃と比べると常識やあり方が変わっていくため、少しでも新しい情報をアップロードしないと、社会についていくことができなくなるからだ。

とにかく現代社会では、今日の常識は明日の非常識になることが多い。それまでよかったことがそのまま通じることは少なくなるばかり。あらゆることがグローバル化してきているから、言動や立ち振る舞いに気を付けなくては、ひと昔前の文化圏に生きる多様化していない人だと言われるだろう。

私をそのような危機から救ってくれたのは臼杵万理実さん。彼女がギャラリーに登場してから、いろいろとやり取りをしていくうちに、このままでは力量不足で駄目だと気付かされる。もっとレベルアップする必要性を考えることが増えていった。このような古いやり方をしていれば、いずれ誰にも相手にされなくなると知らせてくれたのだ。そういう意味では、本当に恩人だと言うべき存在。めだかの学校と同じで、どちらが生徒か先生かはわからないものだ。