パワーアップ!

昨日、GWを利用して帰省してきた美術家と会って、ひさしぶりに時を忘れて美術談義に没頭する。13年前に出会った頃と同じくらい激しいトークを楽しむことができた。彼女は変わらないなあ。その真っすぐさに、「なんとしても二階へ上がりたい。どうしても二階へ上がるのだという熱意が梯子というものを思いつかせて、それを創り出していく。上がっても上がらなくてもいい程度の熱意だったら、決して梯子というものは発明することはできない」という格言を思い出してしまった。

一見は至極当たり前のことを言っているようで、実はものごとの核心を突いた素敵な言葉だ。とにかく、自らの本能でピンと感じていることなら、その感覚を信じてやっていけばいい。どうやったら上手くできるかどうかは、後から考えても十分に間に合うもの。なんとしてもやるしかないと腹をくくっているのなら、必然的に日常を見つめる目線が引き締まり、何かしら創作へのヒントを探し出すことができる。どうやったらいいのかにこだわり続ければ、これまでの常識を打ち破っていく勇気が湧いてくるのだ。

だから、いつも現実を踏まえながら成長するための最善の手段を考えていくことが大切になる。梯子という存在を想像できるようになってくれば、その延長線上に階段やエスカレーターなど、次々に豊かに生活するためのアイディアが生まれてくる。まずイメージしたことは実行していくこと。徹底した現場主義から新しいものが創造されていく。理論よりも実践を重んじた行動こそが未来を明るくしていくのだ。これらの精神のもとに彼女は粛々と前向きに取り組んでいる。いや、20代の時に比べて、達観したスタンスでやろうとしている。実にカッコいいぜ!とてもエキサイティングな時間になった。次に会う日まで私なりに勉強しておきます。どうか結婚式で決意表明したとおり、世界を震撼させる作品を目指して、創作してください!

限界には、限界はない

 
巨星墜つ。日本サッカー界の発展に大きく影響を与えた名将が天に召された。それまでは、ヨーロッパや南米の選手たちに比べて、体格やパワーに加えてテクニックが劣っている点をどのように克服するのかが強化のテーマだった。如何にそれらをレベルアップさせるのかに知恵を絞り、さまざまなことを取り入れては試し続けていた。いわゆる追いつけ追い越せの精神論を核にして、ひたすらトレーニングすることに比重を置いていた。
そんなある種のコンプレックスをきれいさっぱり一掃していく。「頭脳」「俊敏さ」「持久力」という、海外の選手たちよりすぐれた特質を活かし、日本人らしいサッカーを目指して意識改革を起こしていった。どんな国の選手でも長所と短所を持っている。つまり、自分たちの素晴らしさを最大限に発揮するために、ネガティブなことよりポジティブなことに目を向けて、何か新しい可能性を発見することが大切になるのだ。
そして、強くなるためにはどうすればいいのかという問いに、 自分で限界をつくらずに努力することを奨励した。「限界には、限界はない」。常に挑戦していこう意志力が強くなければ、才能や素質があっても発揮するまで粘ることはできない。とことん自分の手で勝ち取ることにこだわっていく。いつまでも初心者のような謙虚な姿勢で、意欲的に学ぼうとすることで成長していける。このように日本サッカーの未来に情熱を燃やし、選手たちのモチベーションを豊かな言葉で高めていったのだ。この他、数々のことが走馬灯のように思い出されてくる。本当にありがとうぎざいました。今年のW杯は天から厳しいコメントをお願いします。合掌

超絶技巧に憧れて

9年前、「滅多にお酒は飲まなくなった。そんなに好きじゃなかったし、やっぱり目には全然よくないし。おかげで疲れずにペースもよくなって、いい感じに仕上がっていくよ。俺にしかできない絵を1枚でも多く描きたい。誰も観たことがないものを描きたいんだ」と、持論を語っていた画家がいた。ある時は「この世で誰も描いたことがないものを選んだ」と言い、どこにでもあるような新聞紙をモチーフにして、それを描いていった。「新聞紙というものはそのうちになくなるんじゃないかな。インターネットの画面で読めるから、紙に印刷しなくてもよくなっていく。だから未来人は、俺の新聞を描いた作品を観て、新聞の存在を知るかもしれない。本気でそう思っているんだ」とも語ってくださった。

もちろん、これだけのことを公言するのだから、それに見合うだけのことはしていた。毎日、アトリエで朝8時から夜の10時まで、食事やお散歩などの休憩時間を除いて、ひたすら引きこもって作品制作と向かい合う。ストイックなんて言葉で形容できないほど、ものすごい気迫に満ちたものがあった。新聞をアートとしての可能性に挑戦したのは気まぐれなんかじゃない。「しつこさこそが俺の武器なんだぜ!」と常に言うくらい、前人未到の個性的な表現にこだわり続け、オンリーワンになることを期待して創作していった。

そんな芸術道一直線の画家と生前最後の会話で、「俺の後輩(山口芸術短期大学)も可愛がってくれよ」と真剣な目で言われたので、「もちろんです!」と答えてしまった。なんだか、昨日のように生々しく思い出せるけど、実際にはあれから時は過ぎ去って年月が経っている。このたび、天へ旅立った直後に知り合った教え子の個展が無事にお開きになりました。私になりに彼女に最善を尽くし、思いっきりバックアップしました。その結果はまずまずという感じではないでしょうか。この作品を企画したことで、多くの芸単ファミリーが集い、多くの山口で創作に夢見る人たちに、その熱量で刺激をもたらしました。どうかこれからも私たちを見守ってください。吉村さんのように頑張っていきます!合掌

ゆっくりと咲く花

詩人 坂村真民の言葉に「一難去ってまた一難。でも思えばこの難によって、念が鍛えられ、念の花が咲き、念の実が熟するのだ」がある。その意味は、さまざまな困難が続いていったとしても、そのおかげで心身はたくましく鍛えられ、ついには自分にしか味わえない人生になっていく。絶体絶命のピンチによって生命力が活性化していく。窮地に追い込まれても逃げ出さず、希望を失わずに努力すれば、実力以上と言えるほどの力が出てくる。辛く苦しい状況が火事場の力を目覚めさせ、新しい可能性を生み出すきっかけになっていく。
だからピンチはチャンスの始まりになる。上手くいかない時があるからこそ、それを乗り越えようと本気で考えていく。どうにかしなきゃと知恵を絞り、前向きに挑戦し続ければ、いつかしか壁を乗り越えられるだろう。その人らしい花が咲く日がやってくるのだ。それゆえに、自分自身を信じて頑張っていくこと。念ずるという字は「今」と「心」で成り立っているように、今日という貴重な1日に最善を尽くして取り組んでいく。あれこれと先のことばかり考えても仕方がない。今やるべきことだけに集中していこう。この境地に達することで心は柔軟になっていく。難の有る人生を肯定して「有り難うをモットーに創作してみよう!

育成

いくせいいわゆる美術家を育てるためには、子供の頃から養成のカリキュラムに則って育成したしたところで、それほどの効果を得ることは期待できないだろう。なぜなら、美術家の素地となる心を揺り動かして得る感動体験が、限定されたものになってしまうから。

もちろん、なにもしないよりは良いに決まっている。作品制作するためには技術を磨いていく必要性があるので、さまざまなことでのトーレニングは無駄ではない。しっかりしたデッサン力や色彩構成力を習得することは、モチーフを思った通りに活用するに当たっての選択肢を増やしてくれる。

しかし、人生そのものが一番の素材となる美術家にとっては、その人らしく生きるスタイルの独自性が作品に反映される。そこには偶然性が関与していくことで、ドラマチックな化学反応が生まれて、作品の味わいが深まっていくのだ。つまり、在るがままに生きていけば、創作に必要なものが自然と身につく。自分の興味のあること以外でも、学びだと考えて向き合うことで、創造力は幅広く豊かになるはずだ。才能に巡り合いたなら、なんでも前向きに受けとめてみよう。いろんなことをやっていく中でめぐりことが、新しいチャンスや可能性を連れてきてくれるのだ。

勇猛果敢

才能とは何もしなければ、何も発揮することはない。自ら目標と思えるものを掲げては、それに挑戦していくことで、一番やりたいことが徐々にわかってくる。自分の能力でできそうなこととできそうもないことが見えてくる。とにかく、何かにチャレンジし始めたら、熱中して取り組むことが大切だ。そして、一つひとつの結果を分析しては、可能性の高そうなものに力を注いでいく。結果について考えるべき時は十分に考えてから行動してみる。今できることが今やるべきこと。純粋にそれを楽しんでやっていこう。難しそうなものは一旦中断するか、潔くやめてしまった方がいいのだ。

つまり、自分がやりたいと願っていることでも、何でもかんでもできるわけではない。さまざまな条件に限りがあるから、あれもこれもやきゃなきゃと思えば、そのプレッシャーに押しつぶされるだけ。いつも身のほどを知ることに心掛けながら努力してみよう。自分自身を俯瞰的に見ながら、その時々に最善を尽くせばいい。そこから手ごたえが生まれて、好奇心や冒険心が搔き立てられる。新しい意欲を積極的に刺激しながら、果たすべきことしっかりと果たしていく。自分を少しでも肯定できれば、やる気スイッチが入ってくる。自分の得意不得意がわかった時に、自分の進むべき道がしぼれるだろう。そうしたことが積もり積もって、明るい方へ人生は切り拓いていける。だから、やると決めたら、できるまでやろう。

萌ゆる心

とにかくいろんなことを積極的にやって、自分の力がどれくらいなのかを試してみる。どうせとやさぐれたことを言って、はなっからできないと決めつけてはいけない。何もやろうとしなかったら、何もできないままで、何も変わらないままだ。自分自身の可能性は積み重ねの中から片鱗の一端が見えてくる。一つひとつのことにチャレンジするうちに、その過程から自分らしい個性的なものが発見できるはずだ。
だから、なんでもいいから果敢に取り組んでみよう。それは趣味の分野であっても構わない。例えば、地方から大都市へ大好きなアイドルのコンサートでもいい。そこへ行くことに慣れた人なら平坦な道だけど、普段から引っ込み思案で、おとなしい人なら大冒険。都会を歩けば時には思わぬアクシデントと出くわすかもしれず、自分だけが何もなくて無事にすむと楽観的にはなれない。それでも会いたい気持ちは抑えられない。たとえ火の中水の中。すべてを覚悟して行っていけば、ドラマチックな人生になっていくだろう。
昨日、深海志都香さんと個展準備していた時に、そんなことを彼女に力説してしまう。大ファンの乃木坂46の東京や大阪でのコンサートへたったひとりで行ったと聞いて、その熱量をそのまま美術に活かしたらいいと背中を押した。人とは何でもいいから夢中になることで成長できる。何かに真剣に向き合い燃えることで、バイタリティーさを養っていける。つまり、すべての道はローマに通ず!どんなことも無駄にはならない。あらゆることが血となり肉となって、いずれ人生に役立つものになるのだ。