出会い

f:id:gallerynakano:20190927235343j:plain

10年前、それは偶然だったのか必然だったのか、とにかく不思議なくらい次々に若者たちと出会った。なぜ、同年にこんなにたくさんの面々と知り合えたのかは理屈では答えられない。たまたま巡り合わせに恵まれて惑星直列になっただけ。そう言った方がわかりやすいだろう。それとも「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」という格言のとおりだ。当時、私は45歳。人生の中間管理職というべき年齢に達し、自然と人の往来が多くなって仲間が増えていった。ちなみにその時のメンバーは臼杵万理実さんに始まり、末永史尚君、白藤さえ子さん、佐藤文恵さんなど、華やかなラインナップだ。やはりこの世には神様も仏様もいる。やっぱり見えざる手の存在を信じることが大切なのかもしれない。

昨日、その時代に知り合ったメンバーの一人と出会う。あの頃は有名美大の受験に失敗したことを武器にして、やさぐれた雰囲気を前面に押し出し、開き直ってマイナーで生きようとする、後ろ向きな個性を活かす創作をしていた。体力、気力、表現力、感受性のすべてがマイナス思考で、これからが本当にあるのか心配な気持ちで赤裸々に表現していた。人間の根源的な不安である生老病死を直視して、そこから現実逃避しようとしない表現に好感を持つ。大人の処世術を知らない少年のような馬鹿正直さに純粋な魂を感じる。ネットのおかげで効率がよくなった社会の中で、不器用に生きようとする姿は堂々としていて、新しい時代を切り拓くことを期待させられた。

あれから10年。30代に入ってからも悶々と悩む日々。20代を頑張ったご褒美に新しい課題と向き合わされている。美術家になろうと思えば、永遠に付き合う宿命なのだ。つまり自分が信じる美術を貫いていくこと。美術家になるためには喜びも悲しみも、どんなことでもエネルギーになるから心配するな。どうかこれからも「本当かな?」といつも疑いながら、自分の表現とは何かを悩み続けてください。