春と赤ン坊

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一昨日、中也記念館館長の中原さんがお見えになった時のこと。いつものように丁寧に作品をご覧いただき、気が付かなかったことを教えてもらう。さすがにずっと観てくださっている。どういう変遷を辿って成長しているかをよくご存じだ。とても有意義な感想を頂戴することができた。また、私の「この作品展からイメージする中也の詩はなんでしょうか?」という質問に、即座に「春と赤ン坊」とお答えいただく。私は恥ずかしながら初めて知った。そこで調べてから詩を音読してみると、彼女の伝えたい世界観と近いものがあると感じた。

「菜の花畑で眠っているのは…… 菜の花畑で吹かれているのは…… 赤ン坊ではないでしょうか? いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です 菜の花畑に眠っているのは、赤ン坊ですけど 走ってゆくのは、自転車々々々 向うの道を、走ってゆくのは 薄桃色の、風を切って…… 薄桃色の、風を切って 走ってゆくのは菜の花畑や空の白雲 ――赤ン坊を畑に置いて」(中原中也 春と赤ン坊)

なるほど、身近に存在してるシュールなものを浮きぼらし、なんとも言えない不思議な気持ちにさせられる。どこかで心がゆるゆると緩くなって、ぼんやりとした雰囲気に居心地の良さが生まれてくる。そういえば、中也も万理実さんも同じ山口市で育つ。保守的な気風が漂う堅苦しい土地柄を真摯に受け止め、しかし、それをそのままクソ真面目に表現せずに、大らかな気持ちであたたかく包み込み、人が生きやすい温度設定までに変えていくのだろう。つまり、ハッキリとした言葉ではなく、感覚の方が正しく伝わることがある。ちょうどいい加減で、適切なバランスが保たれる、山口弁で言ったら「ええころ」さを隠し味にしている。不器用な二人の作品から思わぬ空想に酔いしれる。これからも何を見つけて楽しみたいと思う!