150年

f:id:gallerynakano:20220406210333j:plain先月、県美の企画展「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」を鑑賞した時のこと。1階の展示会場真ん中あたりに、江戸時代中期頃に武蔵野の平野に広がる一面のススキ原を描写した六曲一双の屏風があった。画面の緑色は草むらで雑木林を彷彿とさせて、豊かな自然の中に咲く花々が丁寧に描かれ、これぞ大和絵の真骨頂を堪能することができた。

そして、次の作品を観よう移動し始めたとたん、ひらめきがピカッと頭の中に浮かぶ。武蔵野と言えば国木田独歩。その自然の素晴らしさを切々と書き綴って、 自然主義文学の先駆として知られている。かつて美術館と同じ場所に校舎があった山口中学に学び、そのため美術館のすぐそばの亀山公園には、早い時代から「山林に自由存す」と刻まれた記念句碑が建つほど結びつきが深い。だから、これはめぐりめぐってお祝いでこの絵がやってきたのだ。おそらく独歩が生まれた頃に米国へ渡ったものが、このタイミングで里帰りするなんて、独歩を喜ばすためだとしか言いようがない。

余談になるけど、独歩が誕生してから昨年で150年。柳井市では記念イベントが行われる。それから150年と言えば、県立美術館の開館記念企画展は「生誕150年 狩野芳崖」。長州藩御用絵師で日本美術の近代化に貢献し、東京藝大創立にも深く関わった芳崖を抜擢する。ちなみにこのたびの展覧会には、伊藤博文公に気に入られるために描いた「巨鷲図」が展示され、文明開化で西洋化を推し進めた時代の、さまざまな歴史が刻まれた作品も展示されている。なんとも因果は巡る糸車。偶然が偶然を引き寄せて、さらに偶然が生まれてくる。これは必然だと言うべきものなのかもしれない。嗚呼、想像力がめっちゃくちゃアップしたぜ!私たちは何かに触れるたびに、何かの答えを求める習性がある。それをあれこれ考えることが大切であって、個性的に追究することが最高の楽しみになるのだろう。