登り窯

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昨日の午後は萩焼陶芸家 大和潔さんと佳太君に会うために明善窯へ。県立大学近くの国道9号線から山の麓へ向かって1㎞弱しか入っていないのに、工房付近に広がる風景は街の喧騒を忘れることができる自然豊かな場所。これも登り窯で薪を炊いて炎の勢いで焼成していく作品を制作したいからだ。今現在、登り窯で作品づくりをしようとしても、近隣に集落があると煙や灰が飛んでご迷惑になることが多い。誰にも気兼ねすることなく、最大限のパフォーマンス発揮するには、人里離れた住宅のない場所で活動するしかないのだ。そこがどんなに不便不自由であろうとも、理想とするものを創り出すために、あらゆることを覚悟してこの場所で活動している。
そんな熱い思いが豊かな風合いを醸し出し、優美な雰囲気で味わい深い萩焼を創り出す。陶芸家は誰でも創作人生の中心になる美学を持っている。美学などというとなんだか高尚な印象を受けるけど、実際はその人なりの創作のポリシーと言えるもの。陶芸家は少しでも自分を向上させてくれるものを第一にする。ひたすら焼きものと向かい合う環境に身を置き、自分でもまだ気づかない才能を発見していくのだ。そして、それが本当にできるかどうかより、とにかく陶芸のことだけを考えていられるのなら、一円にもならなくっても楽しいと感じるだろう。その愚直さって本当に素晴らしい。見栄っ張りの連中と違って、陶芸家の鏡だと敬服してしまう。
つまり、陶芸家にとって何を美と感じるかによって、創作レベルがどうなるのかが決まってくる。ただし、その美が誰かにも理解されなくてもいい。どんなふうに思われるようと、本人にとっては大したことではない。これまでの常識を覆すことを一番にしていこう。陶芸家は伝統とモダンを行き来する間で創作している。どちらか一方に偏ると妥協の産物に成り下がる。自分ではこうありたいと思っても、適当なところで折り合い、それ以上の努力をする意味が見い出させない。一期一会の精神で最善を尽くすことを目指していこと。どこまでも萩焼を極めることに重きを置く。だから、国内はもとより米国や英国をはじめ、豪州に至るまで多くのファンに恵まれる。来週の窯焚きを楽しみだ。これからも萩焼の美しさを追究し、ぶれずに創作することに期待するのみ。頑張ってください!