器を見る眼

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一升の器にせいぜい五、六合の水しか入られない者は、多少は目立ち一定の
成績を残すことも可能だが、内容の充実に欠けるので長い間、安定して働け
に終る。その先に指導者としてまず使いものにはならないものだ。
 
しかし二合の器の選手の方は、自分の器の小ささに悩み苦しみながらも
目いっぱい、精いっぱいの努力をし、身もだえしながら多くの体験を積んで
いくので周囲の期待感や、信頼感を得て働く場も与えられていく。時には
ラッキーボーイの活躍を演じるなど、見た目以上のエネルギーや幸運ぶりを
発揮したりすることができるものだ。
 
人材として世の中に役立ち。その先は指導者としてきちんと人を教えて
いけるような人材になるのも、こちらのタイプの選手なのである。
素質は千差万別だ。器の種類もいろいろだが、その器いっぱい、
その素質いっぱいやるかやらぬか。
 
「器を見る眼」とは内容や本質という、本当の価値を見る眼のことである。
 
                                川上哲治
 
著書の「遺書」より選手を一升と二合の器に例えたお話を抜粋しました。
今夜も読みながらその眼力の凄さに日本一を9連覇できることが
当たり前だと思い知らせれています。