まだこの世に生まれる前のことなので詳細はわからないが、この時の主力選手の
一人に同級生の親父さんがいた。
「食糧事情が厳しい時代だったため、2試合戦った時点で食べるものがほとんど
なくなり、腹ペコの準決勝だっただよ」などなど、当時を世相が伝わってくる話を
幾つも聴いた。
そして、天寿を全うされるまで山高サッカー部を愛して、いつも応援していた。
伝統がある山高イズムを誇りに感じ、若い世代の活躍を信じて見守っていた。
そう、昔から山口市には多くの蹴球親父が生息しているのだ。
そんなアウェーの環境が私の母校への愛情を深めたことは間違いないだろう。