蹴球親父

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1950年度、高校サッカー選手権へ山口県から山口東(現:山口高)が初出場した。
まだこの世に生まれる前のことなので詳細はわからないが、この時の主力選手の
一人に同級生の親父さんがいた。
 
「ユニフォームがなくて、ニュージーランド軍のラグビーのユニフォームを借りた」、
「食糧事情が厳しい時代だったため、2試合戦った時点で食べるものがほとんど
なくなり、腹ペコの準決勝だっただよ」などなど、当時を世相が伝わってくる話を
幾つも聴いた。
 
そして、天寿を全うされるまで山高サッカー部を愛して、いつも応援していた。
伝統がある山高イズムを誇りに感じ、若い世代の活躍を信じて見守っていた。
そう、昔から山口市には多くの蹴球親父が生息しているのだ
 
そんなアウェーの環境が私の母校への愛情を深めたことは間違いないだろう。
たかが高校サッカー。されど高校サッカー多くの人生がそこにあるから面白い。