それは福永から始まった

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1999年4月。Kiroroの「長い間」が行進曲で流れて始まった選抜高校野球は同郷の沖縄尚学高校が沖縄勢悲願の初優勝を飾った。
「ホント、Kiroroの歌どおりに長い間待った沖縄勢の優勝か・・・。(・o・)うん!!!ということは桜花賞もきっとこの流れから長い間期待されているのに勝ってない??馬主、厩舎、騎手・・・。あー、ふ・く・な・がだ!!!」と、思えば、これがダジャレ馬券の始まりだった。
そして翌週。皐月賞も血統や調教という最大の物差しを使わずに、なにかのネタから連勝しようとスポーツ紙を見ると当時中日は開幕から絶好調だったため、ニシノセイリュやドラゴンブライアンといういかにもダジャレ向きそうな名前があったけど、「阪神ファンである自分はこんな忌み嫌うドラゴン系の名前は買えん」と、意地張り、ならば何かないかと馬柱を眺めていると「おお、阪神和田豊の背番号と同じ6枠に和田いるではないか。よし、買いだ。」と、友人の競馬博士・大ちゃんに言ったら「和田って、竜二だからやっぱりドラゴンズ馬券だよ」と、あっさりと言われてしまいました。(>_<)
ところで、この皐月賞以来、テイエムオペラオーのレースはすべてダジャレ抜きで本命馬として応援し続けて、少額しか賭けない自分は厳しいファンドの運営となりました。

(画像はワークショップのシルクスクリーン版画で大ちゃんとコラボで制作したテイエムオペラオー