若さ

岡本太郎の著書に「夢を見ることは青春の特権だ。これはなにも暦の上の年齢とは関係ない。10代でも、どうしようもない年寄りもいるし、70、80になってもハツラツとして夢を見続けている若者もいる。だから年齢の問題ではないが、青年の心には夢が燃えている。ぼくは口が裂けてもアキラメロなどとは言わない。それどころか、青年は己の夢にすべてのエネルギーを賭けるべきなのだ。勇気を持って飛び込んだらいい」という文章がある。

いつも新しいことへ取り組める人は、その世界の権威や常識に染まらず、感性を羅針盤にして生きられる人。若いエネルギーを武器に意欲的にチャレンジしていく。もちろん、この場合の新人は年齢のことを指すのではない。好奇心を掻き立てて未知の分野へ飛び込めるエネルギーの持ち主。常に何かをしようとする意欲があるから、新鮮な気持ちで取り組んでいける。いわゆる実際の年齢の若さではなく、本物の若さで情熱を燃やし続ける人物だ。

脚本

「人生というドラマにおいては、自分を主役にして脚本を書いた人と、目的意識もなく惰性で生きた人とでは、たいへんな違いができるのです」という名言がある。

いわゆる美術家として生きていきたいのなら、どんな脚本を書いてみたらいいのか?こんな時はなんでもいいから、これがいいんだと思い浮かぶことを書いてみること。そして、書いたことをやってみることが大切になる。可能性のあるなしはやってみなければわからない。例えそれで痛い目に遭うかもしれないけど、その体験でやれそうなことが見えてくる。何度も何度も書き綴ってみれば、いつか具体的な言葉が育まれるはず。

私は美術の才能はどんな人でも持っていると思う。その人が美術へ情熱を燃やせるものと向き合う。言い換えれば、ごく普通の熱量で取り組んでいけば、ごく普通のことしかできない。だから、主役である自分を活かすために、少しずつ限界を超えていくこと。どこまでも希望的な文言を脚本に書き込み、プラス思考で夢中になって頑張ればいい。チャンスは自分で創れる。どういう脚本を書くのかで決まっていくだろう。

裸坊祭り

40数年前、どんな学校なのかよく知らむまま受験して、防府天満宮の近くある私学へ進学する。将来のことを深く考えないで、訳のわからないまま飛び込んだ。なんとも無謀な話し。なんてたって男子校でヤンチャな人たちが大勢いて、すぐ隣りに防府競輪があって、街には工場で働く労働者が多いなど、カルチャーショックをたくさん受ける。

入学後は戸惑う事ばかりで馴染めずに辛かった。だけど、力不足を思い知らされて、やるしかないと開き直る。そこから逃げずに頑張っていると、いつの間にか強くなっていった。正直に取り繕うことなく、自分らしく一生懸命やれば、何かが成長していく。こうして防府で鍛えてもらったおかげで、タフな世界で生きていける力が養われたのだろう。

こんな昔話を思い出しtのは、りおた君の結婚パーティーに出席したから。長時間にわたって全力でお祝いしたい仲間たちが集い、陽気さを前面に押し出して楽しむスタイルは、この街に古くから根付く裸坊祭りと似ている。みんな裸の心になって、本音と本音をぶつかり合えるのは、とても粋でカッコいい!りおた君の純粋で一本気な性格を象徴するような素敵な宴だった。

結婚記念祭り

昨日はお昼から行われるイラストレーターりおた君の結婚記念祭に参上するため、山口駅から防府駅までJ列車で移動したところ、車内は10代の若者や子育て世代の家族連れで明るく賑わっていた。嗚呼、出足好調。気分のいいまま到着して、駅では友人に頼まれた図録を渡した後、同じく出席する方とともにいざ会場へ。心ズギズギワクワクだ。

そして、スタートした祝宴!いきなりアクセル全開でお祝いムード一色になる。これも主役が自らマイクを持って、集まった面々が仲間になれるように和ませた賜物。お互いに初対面の人が多かったけど、りおた君のサービス精神旺盛の言葉に踊らされて、次々に触れ合い交遊の輪を広げていく。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。

そんなこんなで宴はどんどん盛り上がっていく。ボルテージは上がっていくばかりで、「結婚記念祭」というタイトルに偽りなし。まるで防府天満宮の裸坊祭りのように、みんなワッショイと個性的な賛辞を送り、りおた夫妻を神輿に載せて担いでいった。素敵な時間をありがとう。どうか末永くお幸せに。美しい未来図を二人で描いてください!

ゴールを設定

昨夜のNHK総合「新プロジェクトX 挑戦者たち」は、携帯電話開発競争に出遅れた後発端末メーカーで、畑違いの会社から集まった弱小タッグによって、起死回生でカメラ付き携帯電話を創り出すまでのドキュメンタリー。反骨のエンジニアたちが無理難題を乗り越えて、まったく新しい携帯電話を執念で世に送り出したのだった。

この番組の最後にあるエンジニアが退職する日に後輩たちへ「自分のゴールを設定したら、実際何を知らないのか、何を学ばないといけないのか、具体的になります。本当に真面目に一生懸命やると、すごく意外な結果になるんです。私がそうでした。ぜひみなさんも自分のゴールを設定してやっていけば、よりよい人生が送れると思います」と告げた言葉が印象に残った。

同じことは美術家にも言える。子供だったら将来の夢は美術家で良いけれど、大人なら理想の美術家を鮮明にしなければ、いつまでも夢みたいなことばかりを言って、現実逃避しているだろう。だからこそ、まずは暫定的でいいから具体的なビジョンを掲げよう。そうすれば今やるべきことが見えて、美術家へ近づけるチャンスが広がるはずだ。

吉凶は人によりて日によらず

吉田兼好が残した「吉凶は人によりて日によらず」とは、運の善し悪し、成功不成功は人間の行動いかんによるもので、時や日にはよらないという意味である。

よく自分はまだまだ若いと言って、今やるべきことを先延ばしたりする。今日は天気が悪いとか、縁起が良くないとか言い訳をして、いつかやろうと思っているうちに、結局は何もしないまま時期を逸してしまう。だから、本気でやらない理由を考えるよりも、いつかやれることはすべてすぐやれると戒めて、積極的に取り組むことが大切なのだ。

ちなみに来週から個展を開くレ昇るさんは、8年前にスマホで絵を描けることを知って以来、独学で作品制作に立ち向かっている。自分に才能があるかないかを問う前に、今やるしかないと飛び込んで、一所懸命に美術を勉強している。年齢が高いだけにのんびりしている暇はない。この危機感が雑念を振り払い、創作意欲を掻き立てて、全力で頑張っていけるのだろう。

マイペース

画家 熊谷守一の著書に「二科の研究所の書生さんに『どうしたらいい絵がかけるか』と聞かれたときなど、わたしは、『自分を活かす自然な絵をかけばいい』と答えていました。下品な人は下品な絵をかきなさい、ばかな人はばかな絵をかきなさい、下手な人は下手な絵をかきなさい、そういっていました」という名言がある。

人はなぜ美術家に憧れると言ったら、好きなことで生きていけるから。しかも上手いレベルになれば、それなりに多くの人に評価されて、収入も得ることができる。ただし、上手いという基準はとても曖昧だ。構成力や技術力を基準にすればいいわけではない。その人だけの個性を磨いて活かさなければ、上手いとされる域にに辿り着くことない。

ところで、来週の18日(木)より個展を行うレ昇るさんは、何気ないものを見ては面白がっている。ピンとくるものなら分野を問わず、なぜそれがいいのか仮説を立てて、自分なりの切り口で図っていく。このまま美術の知識が乏しさを武器にして、いつまでも学ぶ精神で挑戦すればいい。そうすればマイペースのまま、楽しく続けることができるだろう。