原点

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「(1969年に)私それまでのいろいろな無理が重なって、突然、ひどい眼底出血を起こした。右眼がほとんど見えず、距離感は全くない。美術家にとって致命的な状況であった。ようやく何かをつかみかけていた時でもあっただけに、精神的打撃も大きく、これで私も一巻の終わりかと、絶望の淵に立っていた。

その時、一葉のはがきが届いた。(香月泰男)先生から簡潔な一文である。『病気になったことは残念なるも、人間にはマイナスはありません、強い人間には』。この一言に、私は、一瞬、息をのみ、胸が震える思いであった。シベリア抑留で酷寒と飢餓を生き抜き、なお、今、シベリアを描き続けておられる先生のこの言葉は、ずしりと重く、私にとってそれは、神の声に等しかった」(文: 田中米吉 香月美術館開館記念展画集 《私の》地球 鉄砲のえのぐ箱より抜粋 )

昨日、米吉先生が香月先生に激励された文章のことを思い出し、家の中で小一時間に渡り探してみたところ、何とか無事に発見することができた。そして、あらためて拝読してみると、「先生のあのひと言がなかったら、私の今はないと心に刻み込んでいる」という米吉先生の言葉に、如何に勇気をもらったのかが伝わってくる。やはり、芸術家にとって創作活動を続けていくためには、魂を刺激してもらえる人との出会いが一番大切なのだ。人と人との交わりから生まれてくるエネルギーを原動力にしていこう!