1993年4月に発行した宇部の彫刻に「私の、宇部展との関わりは、1969年2月、それまでの無理が重なって、私は眼底出血を起こし、山口大学病院(宇部)に入院療養中でした。それは私にとって、命を失うにも等しい程の重大事であった。その時、故香月泰男先生からの電話で『君に、現代日本彫刻展の招待が来ているが、やれるか』という言葉に、私は即座に、『やります』と答えていた。距離感の無い目で、図面を描き、助手の目を頼りに、本当に悪戦苦闘、何とか、第3回展、三角形によるドッキングの作品を完成することが出来た」という田中米吉先生の言葉がある。
昨日、仲間たちと米吉先生のアトリエを訪問。みんな現地に到着直後から子供の遠足ように高いテンションで、そして、案内役のヌマさんが作品に語れば、熱気の渦は最高潮に達していった。非日常的な雰囲気で溢れる空間に響き渡る含蓄のある作品解説。さすが米吉先生の助手として半世紀以上に渡り公私ともに寄り添っていたから素敵な言葉で伝えてもらえる。