遊動

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「ゆらぎのなかで照応する光と水、そして月。全てのものは動き、生命をはらんでいる。言葉や科学が生まれる前の世界では、万物は未分類で、分かち難く一つであった。光の原糸をたぐりよせ、自然と共に交遊する」というのは、ただいまKAAT 神奈川芸術劇場横浜市)で開催中の「志村信裕展|游動」のカタログにあった美術家 志村信裕さんの言葉である。

先週、横浜市在住の竹馬の友にこの展覧会についてお知らせしたところ、なんとすぐに行動に移して会場へ足を運び、さらにカタログなどを買ってプレゼントしてくれた。さすがNHKラジオ番組で知った「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」という本が面白かったから、ぜひ興味を持って欲しいと教えてくれただけのことがある。

それはさておき、志村さんは身近なものや風景を題材にした映像作品を創る美術家だ。いわゆる右脳を使って感じて味わうものを生み出す。だから、観たものを無意識のうちに記憶して、それを日常で出合う現象とすり合わせて、新鮮なイメージを頭の中に描かせてくれる。私が彼の作品を観たのは萩市沖の見島で飼われている牛とそれにまつわる島民の短編ドキュメンタリー。モノクロの映像で島の風景を少ない場面構成でゆっくりと表現されていた。人物が映らない音声だけの最小限度の情報で、観る人の想像力をできる限り尊重しながら、デジャブのような不思議な感覚で心を酔わせてもらった。とにかく徹底した現場主義。土地にある破片を丁寧に拾い上げ、できるだけそのままの姿で、さりげなく観る人の情景を美しくしてくれる。やまと文化の品性を深く感じさせてくれるのだ。このたび観られないのは実に残念。それでもインスタでのトークやユーチューブでの作品動画、そして、カタログに、友人の感想など、今できることで楽しむことが大切だ。人生はできることをすれば、大い楽しくなってくる。「遊動」というタイトルのように、心を自由に開放して動かすことが大切なのだろう。