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美術家は鑑賞者という存在がいなかったら、成り立つことができない職業である。それは演奏者が演奏しなかれば、指揮者だけいても成り立たないし、どんなに素晴らしい映画監督でも、物語に出演する役者がいなければ、映画を作ることができないのと同じだ。だからと言って作品を観る人だったら、なんでもかんでもいい訳ではない。創作したものはその人の個性を活かしたものか、しっかりとした作品のコンセプトがあるものなのか。そして、どのような創作過程を辿ってきたのかなど、ただ単純に受け入れて肯定するだけでは不十分。自分なりに作品の意味や内容について、よく考えて理解しようとしていること。いろいろな作品に触れていって、自分の基準で点数がつけられる人。そんな目の肥えた鑑賞者と巡りあえた美術家は幸せだ。美術家になるために必要なことを感じさせられ、進むべき方向へ引っ張ってくれる助言をもらえる。

つまり本気で美術家になろうと決心しているのなら、創作の深さをはかってくれる人物との出会いが大切だ。良い鑑賞者はこの美術家はどの程度のクラスなのかと、観た時の印象をベースにして良し悪しを判断してくれる。その時に発表した作品内容によって、どれくらい熟成されているのかを、鋭い目でじっと見つめて本質を理解するのだ。なぜなら美術家と同じくらい美術を愛している。胸の中で美術への思いをふつふつと燃えたぎらせ、情念が奥ゆかしくも洗練された感覚へと磨いて、同じ土俵で対等に語り合える関係になっていくだろう。私は私なのだから私の道をただ進めばいいと開き直っても、やはり現実的には未熟な自分から逃げることはできない。いくら屁理屈を言っても実際には何も改善されることはない。創作へ対して自問自答していく。これを続けているうちに美術家への志が少しずつ固まってくる。そう、努力した成果を知るために鑑賞者はもっとも適した鑑なるのだ。鑑賞者とは創作したものを深さをはかりあうための同志で、創作したものを心に刻み込むサポーターだと寛容に受け入れていこう。