隠居

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「一芸もいらず、能もいらず、遊もいらず、履歴もいらない。ただ日夜ともに武略、調略の工夫をすることこそ肝要である」というのは、毛利元就公の名言である。この言葉は、武士は武士であることを人生の第一に日々を鍛錬すべきで、そのような基本を忘れてしまって、他のことにうつつを抜かしてはいけないという意味である。

昨日、防府市にある三田尻御茶屋旧構内 英雲荘で開催中の作品展を観るために訪れる。いつここに来ても入り口で背筋が伸びてしまうのは、江戸時代から続く重みを感じさせる由緒あるからだ。また、七代目藩主 毛利重就(しげたか)公が行財政改革に積極的に取り組み、紙、ロウ、米、塩の四白(よんぱく)の重視による殖産興業政策を推進し、関ヶ原の賠償金を返済後に隠居として住んだ場所だと知ってからは、素晴らしい功績に敬意を表するために自然と気持ちが入るからだろう。

いずれ私にもやってくる第一線から身を引く時。この見極めは本当に難しい。生涯現役は理想だけど、そんなには甘くはない。年々早くなっている社会のサイクル。この調子で環境が変化すれば、ついていけなくなる日も近い。もし、その日がやってきたら清く退くつもりだ。なぜなら、私はこれまで引き際を誤って、新しい時代のドアを開くのに邪魔になる人を目にしてきた。それなりに評価が高かった人のなりのはてで、いつまでも若いつもりだから手が負えない。よせばいいのは居座って、自分たちの価値観を押し付けて、老害として迷惑な存在になっていったのだ。歴史を知るとは、過去の出来事をお手本にして役立てること。どちらかと言えば、失敗事例こそが学びになる。