光の記憶

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1990年7月発刊の県美ニュース「天花」に、写真家 森山大道氏のエッセイ「犬の記憶」の一節が以下のように載っていた。
記憶とは過去をくりかえし再生するだけのものではなくて、かぎりなく打ちつづく現在(いま)、という分水嶺(ぶんすいれい ⇒ 物事がどうなっていくかが決まる分かれ目)を境界線として、記憶が過去を想像し、さまざまな媒体を通過することで再構築されて、さらにそれが、来るべき未来のうえにも投影されていくという、かぎりなきサイクルのことではないだろうか。と、僕は自分自身の記憶を通してシャッターを押している現在(いま)そう思っているのだ。
私なりにこの言葉を訳すと、昨日は過ぎ去っていった思い出、明日はこうなって欲しいと願う思い入れ、その分岐点である今日に、新しい発見を記憶するために、この瞬間にシャッターを押すだけだ、という感じではないだろうか。実際のところはわからないけど、世界最初の写真を「僕にとってその化石のような風景は、記憶以外のなにものでもない」と言ったり、「写真は光の記憶であり、そして写真は記憶の歴史である」とも言い、見たものをそのまま覚えて記憶するのではなく、写真作品として独自解釈による再表現こそが、人の望む自分の記憶だと言わんとしていると思った。とにかく、いろんな答えを考えることができる奥深い言葉は、読むたびにいろんな答えが浮かぶから面白いものだと思う。