水を運ぶ人

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水を運ぶ人とは、どうして良いのか手段に迷う仲間に、救いの手を差し伸べる人のこと。その人の志が枯れてしまわないように、いつも遠くから見守っていて、時に必要な栄養を届けてくれる。それがお互いに利害が一致するのなら有償の関係。この世の中、なんだかんだ言っても、きれいごとだけでは生きていけない。安定した収入を得て生活していくには、自分の個人的な好き嫌いの感情は度外視して、いろいろな人たちと組んで営利を求めていくのだ。世間からどう思われてもいい。現実はそういうものだ理解されるはず。なにも恥ずかしいことではない。

これに対して、共感にもとづいて繋がることのできる無償の関係は理想的だと言える。それはとても清く美しくて素敵なもの。それ故に古代からの哲学者などが推奨している。ただし実際にやろうとすればハードルはかなり高い。他人のために何かをして見返りを期待する心理はほとんどの人が持っている。他人のためにしたことの恩恵が、めぐろめぐって返ってくることを期待してしまう。そうではなくて、人付き合いに損得勘定を持ち込まない。自分が他人にできる一番いいことをやっただけ。最善を尽くしたから楽しかった。あとはもういらない。

こういうことができる人は神様級。なかなか他人のすべてに捧げることはできない。あくまでも相手の個性を尊重した上の行為で、その人にとってはお節介になるかもしれないのだ。私はそれはそれでいいと思っている。人間関係の信頼は完璧にできないのだから、自分らしくアプローチで堂々と交わっていけばいい。みんなそれぞれ個性が違っているから、できることを意識して向き合ってみよう。最善でなくても次善でもなんでも上手くいくように努力するのだ。つまり、自分が水を運ぶ人になりたいのなら、小さな灯かりになることを心掛ける。人は暗闇でわずかでも光があればホッとして明るさを感じる。他人のために大きなことをしようとは思わず、大きな円のその一部である弧になる気持ちが大切になるのだ。