甲子園の詩

1993年3月、春の選抜高校野球で3代目の大会歌として披露されたのは『今ありて』。この歌を作曲したのは数々のヒット曲を作った谷村新司氏。作詞したのは昭和が生んだ偉大な作詞家で、長年に渡り高校野球を愛し続けた 阿久悠氏。「新しいときのはじめに 新しい人が集いて 頬そめる胸のたかぶり こわだかな夢の語らい 嗚呼甲子園 草の芽萌え立ち 駆け巡る風は青春の息吹か 今ありて未来も扉を開く 今ありて時代も連なり始める」という歌詞には、どんな時代になろうとも、この歌と共にグラウンドに立った甲子園球児たちが胸をはって光り輝いていて欲しいと願い込めて作られた。

そんな阿久悠氏がスポーツ紙で『甲子園の詩』を連載。夏の大会の期間中に、毎日1試合ほどスポットを当てて、球児たちの熱い戦いの軌跡など書き綴る。その中の1つに第67回大会を総括したものがある。「人は誰も、心の中に多くの石を持っている。そして、出来ることなら、そのどれも磨き上げたいと思っている。しかし、一つか二つ、人生の節目に磨き上げるのがやっとで、多くは、光沢のない石のまま持ちつづけるのである。高校野球の楽しみは、この心の中の石を、二つも三つも、あるいは全部を磨き上げたと思える少年を発見することにある」という、大会を通じて大きく成長していく選手たちを称えた名文だ。

今年の夏、私たち山口県民はこの文章のように、どんどん磨き上げて強くなっていく選手たちの姿に心躍らされる。一見はまさかのよう思えるけど、実際は常日頃の努力が身を結んだけ。試合でやるべきことを徹底する。ゲームでバットを短く持ち、コンパクトにスイングし、みんなで1点をもぎ取る野球は、地味で目立たぬことが身に付いている証拠だ。普段の鍛錬から生まれたパフォーマンスだ。私は母校を熱狂的に応援し続けているため、このたびの快進撃は苦渋の思いでいっぱいであるが、今日は特別に彼らを応援して一緒に戦おうと思っている。目指せ64年ぶりの深紅の大優勝旗下関国際高校野球部の健闘を心より祈る。