フラット

そう言えば20代半ばの頃に、親しい人から自主上映会の企画を持ち掛けれて、ざっくりとした説明でようわからかったけど、なんだか面白うそうなの実行委員になったことがある。その映画は「ワールド・アパート」で、南アフリカ共和国で反アパルトヘイト問題を、一人の少女の実体験を基に描いた作品だった。いわゆる人生で初めて世の中と深く関われるような熱に冒されて、特に根拠もない正義感に心を躍らせてしまったのだ。

そこには当時の社会には様々な差別があったからだ。今よりも遥かに理不尽極まりないことだらけ。不公平なことは日常茶飯事にありふれた。もちろん、美術界においても不公平だと思われることは数知れずあった。そのようなことを次々に目にしていたので、右も左もわからない馬鹿な若僧が、革命を起こそうというぐらいの気合いで取り組んだ。もし失敗すれば債務が発生するのに、後先を考える余裕がないからできたのだろう。

それにしても、人はなぜ差別というものをするのか?その答えは無限であり、無数にあると言えよう。私なりに言うのなら、差別とは他人と何かを比較して、自分の人の方がいいとしたい気持ちから生まれる。幼稚で未熟な了見から生まれるもので、この世に絶対的な価値なんてないという、至極当たり前なことを知らない。小さなことに楽しみを見い出せない、無趣味な人が感情的に起こす腹いせ。だからこそ、堂々とお天道様のした歩めると信