群盲、象をなでる

仏典にある寓話「群盲、象をなでる」。これは、目の見えない人たちに数人に、正体がゾウであることを隠して、それぞれが鼻や耳、しっぽなどの別の個所を触ってもらい、その感触から何であるのかを想像して語り合った。しかし、触った部位によって感想が異なるため、だんだん意見の食い違いから言い争いになってしまう。自分こそが正しいと主張して対立が深まり、ゾウという真実に辿り着けずにギスギスがひどくなる。みんな自己主張のみして、決して譲ろうとしなかった。

ところが誰かが同じものを触っていることに気づく。これは同じものではないだろうかと言い出す。そう言われてよく観察するように触って、それぞれの感想を交換をし合ってから、意見をまとめればゾウだとわかってくるというお話し。ちなみにこの教訓は、自分の狭い了見に閉じこもって、他人の意見を聞かない人がいくら集まっても、本質を理解することは難しいということだ。それ故に、人は誰でも物事のごく一部だけを見て、全体を推測したり批評したり陥りやすい。

だからこそ、たくさんの人と意見を交わしていろんな視点を知ること。ひとりでは見えなかったものを、みんなの力で浮かび上がらせていく。美術も同じこと。ひとりの人間は、どうしても狭い視野しか持てない。美術談義して自分の見えていないものを知っていくこと。たくさんの視点から素晴らしい美術とは何かを知ることが大切になるのだ。