観察眼

いわゆるものごとを観察する力は、そういうことは既に知っているよと、冷ややかな目で見てしまうと、その途端に表面的なものを見てるだけになる。今までこのことはたくさん見てきたから、もう十分に知ってることだと結論付けると観察眼は失われていく。それ故、わかっているつもり、知っているつもりになってはいけない。どこかにまだ知らないことがあるや、見落としがないかと思い返すことが大切だ。まだまだ知らないことだらけと、好奇心を掻きてなければ、何かを発見しようと意欲は薄れて、ぼんやりとしか見なくなるだろう。

つまり、眼を凝らして注意深く触れれば、先入観で見ていたことが自覚できよう。観察力とは、これまで気づかなかったことはないか、という疑問から、ものごとの接し方が丁寧になってくる。その人の解像度を押し上げて、多方面から見ようと工夫することで観察眼は磨かれていく。香月泰男画伯の「単調とも言えるここ山陰の片隅の風物も、私にはモチーフ天国(大げさか)、春陽はいなかほど美しい。私はその中にいまいる」という言葉の通り、観察力さえがあれば、題材に困ることはない。よく観察すれば面白いことは、どこにいても発見できる。