パチョレック選手は1988年に大洋(現・横浜)へ入団して以来
4年連続3割を記録したが、4年目の成績が過去3年間を下回ったため
1991年オフに金銭トレードで阪神にやってきました。
そして1年目の1992年のシーズンに129試合に出場して
打率.311、本塁打22本、88打点と成績に加えて
勝負強いバッティングで勝利打点王に輝きました。
「センター返しが、オレのモットーだ。
日本のピッチャーに対して無理に引っ張ったりすれば、
術中にはまるだけだからね。」
という発言するくらい日本の野球を理解し、また、
「阪神ファンは10番目の野手」
と、インタビューで応援するファンに感謝していましたので、
翌年(1993年)腰痛で途中退団した時は惜しまれての帰国になりました。
なお、画像は1992年のオールスターに阪神から選ばれた
和田・亀山・久慈・八木・パッキーの5選手です。